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常盤貴子の生い立ち!幼い頃は横浜市から兵庫県西宮で育った!実家家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、話題となるテレビドラマにこそ

出演していませんが、バラエティー等でちらっと

出てくる超美人女優常盤貴子さんです。

常盤貴子さんのデビュー当時に

超大物芸能人からかけられた

言葉が本当に励みとなって、頑張ろうと思った。

一月二日のテレビ東京「チマタの噺」で

MCの笑福亭鶴瓶からかけられた言葉が

女優になる志を教えてくれた。

かれこれ、31年も前の噺を、鶴瓶さんに

会っていて「励まされた」と噺をしても

鶴瓶さんは忘れていた。

そんな常盤貴子さんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

常盤貴子の生い立ち!

出生地は横浜市港北区網島で

両親のもとに生まれました。

父親の仕事は家電メーカー、自動車メーカーの

転勤族として住んでいたと思われます。

南北に東急東横線が走っていて

網島駅は最寄りの駅です。

幼い頃から珈琲館オークラ網島店を

利用していたと話をしていますが

両親がお茶をするときに、

いつも駅近くの喫茶店がオークラ網島店

利用していたのです。

交通の便も良く、網島駅から新横浜駅までは

菊名駅乗り換えで約12分で新幹線に乗車できる。

また、網島駅から横浜駅までは約10分で

行くことができます。

羽田へは自家用車を使えば約40分で到着です。

また、東京駅へは約50分程で着きます。

ここ、網島は交通便でも立地条件が

整っている場所です。

ちょっと横道に外れました。

子供の頃は女の子らしくおとなしい子供でした。

常盤貴子さんには3歳年上の姉がいます。

子供の頃、外出先のエレベーターに興味を示し

エレベーターが上昇する時の

人が持ち上げられるような感覚が

常盤貴子さんには体に感じたのでしょうか?

将来はエレベーターガールになりたいと

両手に白い手袋をはめて、右手を上げて

次に止まる階をお知らせする練習をしていた。

子供心に素敵な仕事だと思ったのでしょう。

幼い頃は横浜市から兵庫県西宮で育った!

 

小学校4年生の時に父親の転勤で

兵庫県西宮市に転居しました。

小学生にとっては4年5年6年生は

勉強の節目でもあり、この3年間が

人生にとって揺らぐ道になるんです。

それは、国語、算数、理科のさん教科を

覚えられるかで、その子のもっている

能力が発揮されるときなのです。

小学校に編入し無事卒業しています。

中学校は公立校の上甲子園中学校に入学しました。

中学校時代は最初テニス部に入部しましたが

テニスが合わなかったのか直ぐ退部しました。

その後、ブラスバンド部に入部し直しています。

楽器はクラリネットを担当する事になりました。

クラリネットはなかなか、リードを震わせる

コツを捕まえないと音が出ません。

最初の内は、リード(竹でできている)を

しっかり舐めて湿らせてから

クラリネットのリードを取り付けて

唇の下にリードを当てて息をふきます。

その時に出る音が、低音ブーと鳴ったら

まずは合格です。

学校は全国レベルの強豪校で

以降は部活動に日々明け暮れていました。

そのため常盤貴子さんには「全国吹奏楽コンクール」を

目指して音を磨いていました。

中学校に入学してブラスバンド部に入部してから

副部長となってからも練習を続けました。

練習部屋は一軒家だった。

練習後のご褒美には、皆で学校近くの

お好み焼きを食べていたでしょう。

マーチングバンドの大会に出場した。

中学校を卒業して市立の高校を受験しました。

常盤貴子さんが入学したのは甲子園にも近い

市立の共学校の西宮東高等学校に進学しました。

常盤貴子さんは一般入試で受験して

見事合格しました。

勉強が得意だった。

高校に入学してからの部活動は帰宅部でした。

高校生時代から喫茶店巡りが好きでした。

かって西宮球場が有ったころ売店で

アルバイトをしてた。

お好み焼きやジュースを売っていた。

今で言う、売り子さんをやって、

お金を稼いでいたのです。

軌道に乗って西宮で暮らしていたのも

7年目に父親の仕事の都合で

再び、横浜市綱島町へ転居しました。

高校は私立駒沢女子高等学校に転校しました。

自宅のある綱島駅から東急東横線に乗って

武蔵小杉駅で南武線に乗り換えて

約1時間10分の通学をしていました。

女子高で校則が厳しい事で知られていますが

芸能活動は容認されていた事で

多くの女性芸能人の母校として知られています。

しかし、常盤貴子さんは芸能活動は

やっていなくていたって普通の女子高生だった。

高校を卒業して大学は関東学院女子短期大学に進学しました。

短大では関東学院大学の系列校で

家政科や国文科、幼児教育科の学科が有りましたが

2004年9月に関東学院大学に統合され廃止された。

常盤貴子さんは家政科に在籍して

生活文化を専攻していた。

短大の時にサークルやクラブに入部しておらず

1年生の時に通学途中で自らが芸能界に興味を示し

所属事務所を探して芸能界デビューを果たしました。

大学生になった事で、アルバイトのつもりで

芸能界入り、最初はモデルを中心に活動した。

1991年にテレビドラマ「イブは初恋のように」で

女優デビューしました。

常盤貴子さんは新聞の番組欄に

出演者の名前の中に、自分の名前を見て感動した。

その甲斐あった、1992年短大2年生の時に

連続ドラマ「愛はどうだ」でレギュラーに起用された。

短大時代はさほど多くの仕事はしていなかった。

短大も無事に単位を取って卒業した。

卒業は就職をしないで女優活動を継続し

1993年21歳の時に出演した

テレビドラマ「悪魔のKISS」で

一躍脚光を浴びたのです。

その後数々の話題作に登場して

テレビドラマの金字塔となった。

常盤貴子(ときわ たかこ)のプロフィール

実家の家族

  • 父親:一般の方です。
  • 母親:一般の方です。
  • 長女:三歳年上の姉
  • 次女:本人

家族

常盤貴子の生い立ち!幼い頃は横浜市から兵庫県西宮で育った!実家家族は!まとめ

現在はテレビドラマより

映画や舞台が中心ですが

当の本人は連ドラ志向で「いい作品が有れば」

是非参加したいとコメントしている。

私は連ドラの舞台に立ってもらえれば

女優の魅力ある常盤貴子さんが

画面で見せてくれるのがいいですね。

ぜひ実現して欲しいです。

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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