こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は、
最近東京都出身者が多い中で
テレビドラマ「アトムの童(こ)」
で演じている俳優のカッコイイ
山崎賢人さんです。
幼い頃、東京都板橋区は
埼玉県の荒川沿いと国道17号線が
南北に走る場所で生まれました。
東京の中でもどちらかと言うと
埼玉依りの場所で東北・上越・北陸新幹線、
JR在来線と地下鉄三田線が走る場所です。
そんな、山崎賢人さんの
生い立ちや育った場所が
どんな所だったかが
気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
山崎賢人の生い立ち!
小さい頃から要領よく過す
男の子でした。
それは、7つ年上の兄が
両親から怒られるのを見て
自分は怒られないように行動していた
くいしん坊な山崎賢人さんでした。
板橋区の保育園に通園している
している頃、豆柴が「まめちゃん」が
家族の一員になったのです。
両親に怒られると「まめちゃんに
気持を分かってくれるのはお前だけ」と
まめちゃんに口をこぼして
顔をペロペロと舐めて慰めてもらっていた。
保育園から地元の小学校に入学しました。
1年生の時に初恋をして
学校で休み時間に初恋の子と
二人で白いカーテンに隠れて
ほっぺにチューしてもらっていた。
学校の授業では美術に図工が好きで
細かい作業が得意で、当時好きだった
アニメーションの「ラッキーマン」を
自分の服に自ら刺繍していた。
「ラッキーマン」の影響は、
いつも「ラッキー」と思っていた。
幼い頃から美術と図工が好きだった!
当時から、美術と図工が、
今になってテレビドラマで
幼い頃の思い出が、よみがえり
テレビの中で主役として
俳優として活かしている。
また、小学校2年生になって
地元のサッカークラブ「リオフットボールクラブ」に
所属して、8年間続けていました。
また、サッカーのプロ選手になる
つもりでサッカーを熱心にやっていた。
高学年になってレフェリーに対して
「ファールだろう」「レッドカードだろ!」と
抗議をしていた。
板橋区は日本橋から17号線
中山道を歩くと約2時間30分
かかります。
日本橋から志村坂下近くまでの
台地(武蔵野台地)が続き
坂の多い板橋区でもあります。
そんな中、小学生から体力をつけて
中学校に入学した山崎賢人さんですが
中学校で「小学校らか可愛い男の子が
入学した」と話題になった。
入学前から有名人だったのです。
しかし、山崎賢人さんは冷めたオーラを
発していたため、モテることは無かった。
友達と楽しく学校生活を過して
修学旅行(奈良・京都)はかなり楽しかったので満足した。
表立ってはモテていなかった山崎賢人さん
ひっそりと思いを寄せていた女の子が
たくさんいた。
中学校の卒業式でのエピソードで
下級生の友達の弟に制服一式を
渡して卒業しようと思ったそうです。
しかし、女の子から制服のボタンを
おねだりされて、一つずつ渡したそうです。
ボタンが無くなるとブレザーを渡し
それが無くなるとカバンのほか身に
ついている物、全てねだられて
無くなった。
中学時代は部活動には参加していません。
リオフットボールクラブに属し
チームの背番号10番MF(ミッドフィルダー)を
担当していました。
このチームのコーチになりたいと
思っていたそうです。
代々木公園でサッカー試合が有って
試合終了後、帰りに、始めて原宿の
竹下通りを歩いていた時、
100ショップのDaiso(ダイソー)前で
スカウトされたのは中学3年生の時でした。
将来はサッカー選手として活躍できなくても
サッカーに携わる仕事が出来たらいいと思っていた。
サッカーを続けながら芸能活動を
スタートさせました。
中学時代は「ピチレモン」などで
主にメンズモデルとして活動していた。
芸能活動が忙しくなって、サッカーの
練習に参加できなくなった。
クラブの尾松剛監督が背中を押した。
サッカーと芸能界を迷っていた。
背中を押してくれたことで
「新しい道に進んでみるか!」と
クラブを引退する時に監督から
好きな事を思いっ切りやる。
素敵な人生を永遠にフットボールの
誇りであり続けることだと監督が
言葉と共に卒業証書を手渡した。
原宿で山崎賢人さんをスカウトしたのは
バイトの女性だった。
ピチレモンの「女装が似合うメンズモデルランキング」で
一位を獲得した。
2010年に「熱海の捜査官」にテレビドラマで
俳優デビューしました。
中学校を卒業して高校に進学、
学校は板橋区の学校を選んでいます。
高校と芸能界を両立するのは
段々、仕事が忙しくなって
高校への通学が減少していったのです。
高校では中学校の同級生と授業が終わって
よく、池袋でダーツをしたり
食事をしたりして一日を過ごしていた。
高校1年の2学期が終わると
通信制の高校に転校しています。
通信制では友達もいなくなって
高校時代の思い出は皆無なんだ。
高校時代はロンリーだった。
18歳の時には自動車の免許を取り
海に行ったり花火を見に行ったりもした。
高校3年になって進路は俳優業一本と
志す事にしました。
高校を卒業するタイミングで
「俳優業しかない」と思ったそうです。
2014年に公開された映画「L・DK」で
一躍知名度をあげました。
山崎賢人さんはこの映画の中で
演技した「壁ドン」が大きな
話題となり流行語大賞に選ばれました。
そして、流行語大賞表彰式に登場したのは
山崎賢人さんでした。
山崎賢人(やまざき けんと)のプロフィール
- 生年月日:1994年9月7日
- 出生地:東京都板橋区
- 身長:178cm
- 体重:69.7kg(標準体重です。)
- 血液型:A型
- 星座:乙女座
- 学歴:板橋区立蓮根(はすね)小学校卒
板橋区立志村第五中学校卒
東京都立板橋高等学校入学後通信制の高校に転校し卒業 - 趣味:音楽鑑賞・ギター・写真
- 特技:サッカー・水泳
- 職業:俳優
- ジャンル:舞台・テレビドラマ・映画・CM
- 活動期間:2009年-
- 活動内容:2010年俳優デビュー「熱海の捜査官」
- 事務所:スターダストプロモーション制作2部
実家の家族
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山崎賢人の生い立ち!幼い頃から美術と図工が好きだった!実家の家族は!まとめ
東京都板橋区は武蔵野台地の
始まりでもあるし終りでもある。
そんな、坂道が多くい町は
地下鉄三田線の終着駅でもある。
幼い頃から美術と工作が
好きな少年は、女の子にモテて
将来の夢を既に悟っていた。
俳優として現実になっていった。
ますます、俳優としての磨きがかかり
役柄で減量したりして変化させては
テレビドラマや映画で活躍されて
これからも、体に気を付けて
健康でさらなるご活躍される
ことを期待し応援して行きます。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。