わくわくウキウキブログ

三田寛子の生い立ち!幼い頃育った場所は京都・観光地!実家の家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、歌舞伎役者の

妻となって子供を育てている

タレントで女優の三田寛子さんです。

三田寛子さんと言えば、お茶の間で

テレビの中でちょっと天然な

ところ有って昔も今も変わらない。

とても可愛らしい方です。

そんな三田寛子さんの生い立ちや

育った場所がどんな所だったか

また、生い立ちがどんな所で

育ったのかが気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

三田寛子さんの生い立ちは

京都市下京区は京都の中心部の町で

碁盤目状の街並みが奇麗です。

東には鴨川が流れています。

両親は染物屋が多い町は紺屋町で

染物の糊色落としには、鴨川で

おこなっていたと思われます。

生まれた三田寛子は今は

3人の子供のお母さんです。

三田寛子のプロフィール

幼い頃育った場所は京都・観光地!

京都と言えば観光地がです。

京都駅前から碁盤目状に道路は

走っています。北側出口

左側には京都タワーが目につきます。

また、200m程北へ足を延ばすと

東本願寺(真宗本廟)は親鸞聖人の御真影

安置されている場所です。

また、東本願寺から裏手から

西に300m程行くと龍谷山本願寺(西本願寺)

お寺が堂々と建っています。

少し圧倒されそうな気がします。

幼い頃は、周りは観光地で、

三田寛子さんは母親と一緒に

街の中で買い物をしたり、お土産さんで

満月(阿闇梨餅)饅頭・金平糖・八つ橋

買って帰っていたと思われます。

昭和45年(1970年)の幼稚園時代に

父親と一緒に大阪の吹田市千里で

開かれている大阪万博に行っています。

小さい頃は天然パーマーで日焼けして

ショートカットにすると黒髪の形が

男の子によく間違えられていた。

父親は礼儀作法には厳しく

殴られて鼻血を出した事も有った。

また、夏祭りでは演芸大会で

アイドルの歌を歌って皆から

人気者であった。

実家は染物屋を経営していましたが

和服の需要が少なくなり廃業しました。

父親の仕事で紺屋町から七条町に

移り住んだと思われます。

裕福な家庭ではなかったみたいです。

小学校に入学して習い事は日舞を

始めました。

幼い頃とは違って、小学校では

授業中に手を挙げられない消極的な

性格になってしまいました。

運動神経が悪く体育は苦手だった。

夏休みのラジオ体操だけは参加して

ラジオ体操カードにハンコを

押して貰うのが楽しみだったようです。

地元の中学校に入学しています。

英語の成績は優秀でオール5でした。

また、中学2年生の時、宝塚音楽学校に

入学したかったのですが母親に応募要項を

見せたところ「容姿端麗」と書かれていた。

母親からは「あんたは無理やな」と言われ

諦めた。

また、英語が得意だったので「スチュワーデス志望」

と思って応募要綱に「容姿端麗」と有り

諦めたのです。

当時の中学3年生はファッション雑誌「セブンティー」の

読者が多く読まれていた。

中学3年生は受験生で皆は学習塾へ

通い始めていた。

三田さんは目標がしっかりしていたため

学習塾へは通っていませんでした。

高校へは進学校へ進み、大学は英語の先生か

京都の通訳の単位が取れる学校へ進学。

既にビジョンを作っていました。

一人で友人もなく、塾にも通わず

退屈していたところ「セブンティー」を

見てモデルの募集が

掲載されていたのを見て

試しに読者モデルに応募したところ

合格しました。

夏休みに撮影したものが新学期に紙面に

載っため、中学の友達周りから

反響が凄かったのです。

三田さんは中学時代は結構地味な

タイプと言っていたのですが

紙面に載った私ではないとは言えなかった。

大変な騒動になっていました。

それを見た事務所のスカウトマンから

スカウトされて芸能界デビューを

果たしました。

芸能界入りをする際に

「転んでも滑ってもただで起き上がるものか」と

誓ったそうです。

高校は芸能活動をするうえで

夜間のある定時制高校を選びました。

都立代々木高等学校に入学しました。

高校デビューで女優デビューを飾り

翌年にはファーストシングル

「駈けてきた処女」でアイドル歌手として

活動を開始します。

仕事が忙しくなり

後に明治大学附属中野高等学校に

転校しています。

とにかく芸能界入りして実家への

仕送りし、電話代を惜しんで貯金し

ていました。

実家にはかなり貢献していたみたいです。

高校卒業後は大学に進まず

1984年にはフジテレビ系列の

「笑っていいとも!」の曜日レギュラーに

抜擢されました。

この時を境に人気上昇し、以降はタレント活動が

中心となっていったのです。

また、1991年には歌舞伎俳優の中村橋之助さんと

結婚しました。

中村橋之助さんのアタックが結婚に

結びついたのです。

ですが、今日、歌舞伎役者さんは

伝統的なんでしょうかね

男はどうしても浮気心が

昔からあるんですね!

実家家族

  • 父親:染物屋を辞めてタクシードライバーへ転職
  • 母親:保母(一般の方です)情報は有りません
  • 長女:本人
  • 長男:弟(一般の方です)情報は有りません。

三田寛子の生い立ち!幼い頃育った場所は京都・観光地!実家の家族は!まとめ

京都下京区の鴨川の産湯で育ち

染物屋で着物の着付けや

子供の頃は着物を着ていた事でしょう。

そんなおてんば娘ぶりも、少しづつ

成長するにつれて、女心が外に出て

恥ずかしさを覚えては、小学校で

手を挙げなくなって、地道にこつこつ

日舞を習っていて踊りには

自信あったでしょう。

しかも、大人になってからは

人前に出る仕事に挑戦して

実家家族を裕福にするために

努力している姿は今日でも

テレビでも分かります。

三人の子供さんたちの

成長が楽しみですね。

これからもご活躍を期待しています。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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