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森高千里の生い立ち!出身地、幼い頃育った場所は観光地!実家の家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、今年で35周年を

迎え「17歳」「私がオばさんになっても」

などのヒット曲を歌った

森高千里さんです。

大阪生まれで熊本育ちばってん

高校途中で東京の高校へ転校

その森高千里さんの幼い頃の

生い立ちがどんな所で

育ったのかが気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

森高千里の生い立ち!

生まれは大阪茨木市は京都市と

大阪市の間に有って大阪市の

ベッドタウンに両親は住んでいました。

父親は熊本県南阿蘇の外輪山、

高森町で育って、大阪での仕事は

千里塚で世界万国博覧会の準備の

その為の仕事が有りました。

ハッキリした事は分かりませんが

森高千里の名前からも分るように

大阪の吹田市に千里と有ります。

両親は大阪の千里を忘れる

事が無いように「千里(せんり)・

千里(ちさと)」と名づけた

大阪で生まれ一時大阪で育てられて

いましたが、父親の仕事で

小学校に上がる前に熊本に

戻っていきました。

この時に、父親は大阪の場所を

忘れない為に「千里・ちさと」と

名付けたのでしょう。

住まいは熊本市西区の花園という

地名の場所に引っ越してきています。

この地区はJR九州の鹿児島本線・

熊本市電の二路線と熊本電鉄菊池線が

走っていました。

市電・菊池線の終点駅(上熊本駅)は終日

人々の交通手段として学生や自動車学校に

向かう人が使っている駅です。

また、市電は上熊本から子飼町へ

近道の線路が走っていました。

1970年から1972年に欠けて

上熊本・水道橋・子飼間を廃止しました。

当時は産交バスも走っており

市内循環を巡り、熊本市内の辛島町まで

走っていました。

花園町は熊本の人は知らない方は

いないと思う「加藤清正」公のことを

「清正公(せいしょこ)」と読んでいます。

その加藤清正公が槍をもって

東を向いて立っている銅像が有ります。

森高千里さんは小学校に通っている時に

学校行事の一つ「遠足」に出かけていたと

思われます。

また、東側は森の丘になっていて

熊本城と藤崎台県営球場が

有ります。

熊本城を囲むように東側の

坪井川、西側に井芹川が流れ

有明海に注いでいます。

そんな、熊本での幼い頃を過ごした

森高千里さんについて

ひも解いてみました。

森高千里のプロフィール

出身地、幼い頃育った場所は観光地!

小学校は熊本駅から一つ先の

上熊本駅が最寄りの駅でした。

学校は小高い丘の上に有って

東側には熊本城と市内が見渡せて

南側には加藤清正公の本妙寺が

見えて、綱らる山が観られ

熊本市内のテレビ塔が有る金峰山

熊本市内から遠くは雲仙岳に

向かって電波を発信しています。

小学時代は、お兄さんの後を追って

男の子と一緒によく遊んでいた。
自宅の道は坂道になっていて

自転車でブレーキをかけずに

壁のそばまで行けるかを競った。

習い事はピアノと英語スクールに

通っていた。

また、自宅にカラオケが有って

家族で歌っていた。

学校が夏休みの時は、家族で

車で阿蘇の実家まで約42.4kmを

1時間10分程かけて走った。

そこは、避暑地で空気もうまい

そして何より、美味しい水が有る

白川水源です

実家のコーヒーの水は白川水源

使った美味しいコーヒーだったのでしょう。

喫茶店の名前は「オレンジ・ヒル」で

既に閉店しています。

私も白川水源の水を飲んだ

ことが有ります。

少しドロッとした感じの硬水で

甘く感じました。

森近千里さんは白川水源の水を汲み

市内に持ち帰っていたのでしょう。

子供の頃、大好きだったピンクレディーに

あこがれて「ザ・ベストテン」を

観て歌謡曲を覚えて育った。

ピンクレディーの解散コンサートに

足を運んでいるようです。

中学校は花園町から向かい側の

小高い丘の中腹に在ります。

上熊本駅から上り坂になって

その坂を上り切った所が京陵中学校です。

また、北側には熊本大学教育学部附属中学校が

有ります。

中学生同士互いをけん制している

感じが外から見られた。

そんな中学校で運動が得意で活発な女の子でした。

この頃のあだ名は「ち-ちゃん」と

呼ばれていた。

中学生の時、イギリスのロックバンド

「デュラン・デュラン」のドラマー

ロジャー・テイラーにあこがれていた。

高校は花園から一山超えた

国道3号線沿いに有ります。

近くには熊本で大学進学校の

県立済々高等学校が近くに有ります。

当時の高校の名前は九州女学院と

女子高でしたが2001年からは

共学校になってルーテル学院高校と

改称しています。

高校1年生の時に軽音楽部に

在籍しています。

バンドを組んでベースやドラムを

担当してボーカルは他の人が担当していた。

「プリプリ」のコピーバンドでドラムを

叩いていた。

高校時代のアルバイトはアイスクリーム屋で

バイトをしていた。

高校生の時の食事は早めし2時間目が

終わるとおにぎり2個を食べて

昼ごはんは普通に食べていた。

幼い頃からピアノをやっていたので

高校卒業したら音楽大学に進学して

ピアノの先生になる夢を見ていた。

バンドや歌手でデビューしたいと

言う気持ちは一切なかった。

2年生の夏休みに大塚製薬が

主宰した「第一回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」で

グランプリを受賞。

審査委員を務めていた糸井重里さんと

CM共演がきっかけで高校を転校します。

高校は堀越学園高等学校、仕事が暇だったので

毎日学校に通っていた。

高校3年生の時に「あいつに恋して」に

ヒロイン役で出演を果たした。

女優としてのデビュー作品でした。

しかし、高校時代の出演映画は

売れていなかった。

熊本から突然上京して、言葉(標準語)が

熊本弁(訛り)が抜け聞けず、標準語に

苦労したみたいです。

参考に「この品物しまっておいて」

熊本弁では「この品物なおして」

熊本弁分かりますか?

実家の家族は!

  • 実家:熊本県阿蘇郡長陽村(現・南阿蘇村)
  • 父親:森高茂一・元ミュージシャン
  • 母親:千鶴子・元女優
  • 長男:3歳年上・一般の方です
  • 長女:本人
  • 母親の千鶴子さんは、
    森高千里さんの言葉を借りて
    「本当に料理が上手・どれも絶品」
    料理の味付け・盛り付け・手際の良さが凄い
    とお褒めの言葉がズラリと!

 

森高千里の生い立ち!出身地、幼い頃育った場所は観光地!実家の家族は!まとめ

大阪茨木で生まれた少女は

父親の生まれ故郷へ戻って

幼い頃を過した場所は、熊本の観光地が

遊び場になっていたのです。

そんな環境の中で、うまい空気、うまい水を

飲んでは育っていったのです。

ちなみに、熊本の水道水はミネラルウォーターとして

飲み水は勿論、車の洗車に使われて

聴くところによると洗車の水が

奇麗であることで錆が発生しにくいと

ガソリンスタンド・カーディーラーで

評判だそうです。

少し外れましたが、

森高千里さんの芸名は森高「高森町の地名」は

父親の苗字で、千里(ちさと)は

父親が大阪で住んでいた

大阪吹田市の千里(せんり)から

名前を千里(ちさと)と命名した。

と推測します。

父親の故郷、阿蘇に草千里と有りますが

聞くところによりますと、この地を命名

したのだと思っていましたが、

森高千里さんからは、阿蘇の草千里ではないと

話していました。

今後も年齢層とは思えない

若々しさを継続しながら

多くの人に愛されている森高千里さん。

これからもご活躍を期待しています。

ちなみに旦那さんは江口洋介さんです。

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今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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