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阿部寛の生い立ち!幼い頃から父親の背中をみて!イケメンでカッコいい!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事はモデルとして

芸能界入りしその後俳優に

転身したイケメン俳優の阿部寛さん

現在は身長の高さや魅力的な声を

生かし多くのドラマや映画で

活躍中の生い立ちがどんな所で

育ったのかが気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

阿部寛の生い立ち!

父親は川崎に生まれ母親は秋田出身で

両親は社内結婚で、阿部寛を次男として

生まれたのです。

父親の仕事はコマツの研究者だったとしたら

コマツ研究開発は神奈川県平塚市万田地域に有る

研究所で働いていたと思われます。

自宅から電車通勤だと約1時間40分ほどかかり

自家用車だと50分程度かかる場所が

職場だったと思われます。

また、川崎工場は大型ダンプトラック

製造組立を行っていた。

1994年に閉鎖されています。

川崎工場までは京急で50分ほどの

場所に有りました。

リストラが有って、移動先は栃木県真岡市の

工業団地でした。

神奈川区の三ッ沢小学校から

横浜、桜木町、関内(伊勢佐木町商店街)、

石川町(元町・中華街)へは30分ほどの

所に在って、両親とショッピングや食事に

出かけて行っていたと思われます。

当時は終戦直後で大型のトラックダンプの

需要が多く仕事は忙しい毎日だった。

仕事は研究畑だったことから

研究所で大型・建設機械・ホウルトラック開発

力を入れて研究されていたと思われる。

そんな中、阿部寛少年は、小柄な父から

技術を少しでも学び、自分の物として

父の教えを習っていたのだと思います。

阿部寛のプロフィール

本名:阿部寛(あべ ひろし)
生年月日:1965年6月22日
出身地:神奈川県横浜市神奈川区
身長:189cm
体重:75kg
血液型:A型
星座:蟹座
学歴:横浜市立三ツ沢小学校卒
   横浜市立松本中学校卒
   神奈川県立白山高等学校卒
   中央大学理工学部電気工学科(現・電気電子情報通信工学科)卒業
趣味:テニス・古武道
特技:目測で間取りがわかる
資格・中型免許
職業:俳優・モデル
ジャンル:テレビドラマ・映画・舞台・ファッション
活動時期:1983年-
活動内容:1983年モデル部ビュー
     1983年コンテストで優勝
     1987年俳優デビュー
配偶者:既婚
事務所:重田オフィス

実家家族

  • 父親:小松製作所・産業機械のエンジニア一般の方です
  • 母親:社交的で教育熱心な一般の方です(阿部寛さん35歳の時に亡くなっています)
  • 長男:エンジニア一般の方です。職業はエンジニア
  • 長女:姉・一般の方です
  • 次男:本人

家族

幼い頃から父親の背中をみて!

末子として生まれた阿部寛さんは

とてもかわいがられて育てられ

幼い頃から明るくてよくしゃべる

人から好かれる性格の持ち主だった。

お兄さんお姉さんとの身長差は有りませんでした。

父親の身長は156cmと小柄でした。

成長期には阿部寛さんだけがすくすくと成長し

兄弟と比べてみるとずば抜けて身長189cmと高かった。

父親の職業は産業機械・特殊車両等エンジニア系の

理系の仕事をしていた事が、印象に残って

父親の性格は背中で生き方を見せてくれる

口数が少なく優しい人で昭和一桁世代で

戦前に生まれ、豊かだった頃から

戦中戦後を生き延びて、食糧難にも絶えて

何不自由なく育てられた父親の存在に

心を打たれ、エンジニアとして仕事を

終えた方だったと思います。

将来、仕事を選ぶなら、父親と同じ理系の学校を

卒業して父親と同じ道を歩むことを志した。

イケメンでカッコいい!

子供の頃から非常に活発なわんぱく少年でした。

意外にも目立ちがりで、何でも一番に

ならないと気が済まない少年でした。

小学生時代から足が速く、かけっこは常に一番

5年生の時に、ライバルが現れてその子には

勝てなかったそうです。

勝てなかったことが悔しくて仕方がなかった。

他には小学校時代から水泳を習っていた。

この頃から可愛い顔をしていた阿部寛さん

中学校に入学してから陸上部に所属して

部活にも積極的に参加していましたし

並行して水泳も習っていた。

高校は進学校で高校でも陸上部に所属して

部活動に懸命でした。

高校時代は部活漬けの毎日でした。

身長も高校時代には1年5cmのペースで

身長が伸びて185cmの時に「止まってくれ」と

思ったエピソードが阿部寛さんから話が合った。

子供の頃からテレビドラマが好きで

高校時代に観た「ふぞろい林檎たち」で

俳優という職業に興味を持っていた。

観ていたドラマで阿部寛さんも

自分でもできるんじゃないか」と

根拠のない事を思った。

志した父親のエンジニアの事を思っての

考えだったのでしょうかね?

大学は一年浪人して中央大学理工学部に

在籍して電気工学を専攻しています。

理工学部は女子生徒が少なかったので

女子目当てにテニスサークルに属して

意外にも軽い面も見せていた。

大学在学中にお姉さんの勧めで

優勝賞品が車が商品と聞き

「集英社第三回ノンノボーイフレンド大賞」に

応募し見事優勝を果たしたのです。

車はお姉さんのもとへ行ったかは

定かでは有りません。

それ以降はモデルとして雑誌「ノンノ」「メンズノンノ」の

カリスマモデルとして大学在学中活躍。

1987年に映画「はいからさんが通る」で

俳優デビューします。

しかし、アイドルとしてデビューするも

ブレイクせず徐々に仕事が減り、

バブル崩壊による不動産投資のマンションの

借金を抱えてしまいました。

その後いくつかの映画に出演して

脇役として一定の地位を確保して2000年の

仲間由紀恵さんとの共演したドラマ「TRICK」

三枚目役の演技が話題となった。

若い頃からかっこよくイケメンで

有っても、ヒットするドラマによっては

三枚目役としての役ずくりが意外と

阿部寛さんには向いているのかも知れません。

阿部寛の生い立ち!幼い頃から父親の背中をみて!イケメンでカッコいい!のまとめ

両親のもとで末っ子として生まれた

阿部寛さんは裕福な家庭で育ち

5人家族の中でも、優しく、自由気ままに

過ごさせてくれた両親に感謝ですね。

それに、父親の教育方針も見えていたと思います。

何気ない、育て方は兄弟が末っ子を

育てて、注意深く見守っていて、父親に

一日の出来事を情報として伝えていた。

それが、家族団らんの姿だと思います。

阿部寛さんの夢はエンジニアだったのが

モデルから俳優への道へ

幼い頃からの夢をかなえられるのは

ほんの一握りだと思います。

そのチャンスを教えてくれたお姉さんは

阿部寛さんを幼い頃から観ていたからこそ

自信をもって応募して優勝した。

優勝賞品は車です。凄い事だと思います。

これからも阿部寛さんがイケメンとして顔

三枚目役を演じて、わたしに見せてください。

これからも応援して行きます。

身体を大事に健康で俳優として

活躍してください。

期待しております。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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