わくわくウキウキブログ

福田こうへいの実家家族!おい立ちは雫石町で!遅い民謡歌手に憧れて!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は民謡歌手の福田岩月は父親

母親も民舞の師範の子供として

福田こうへいさんが誕生した。

家族は兼業農家で自然の中で

岩手山の見える雫石町

両親の芸能に声を出して歌っていた。

演歌歌手になる前の幼い頃に過ごした

場所がどんな所で育ったのか

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

福田こうへいの実家家族!

東京から雫石までの距離555kmあり

東京からの景色も徐々にビルの谷間から

埼玉を過ぎると田園風景の緑色が

流れて行きます。

車窓からは福島、仙台を過ぎるあたりから

仙台平野を走ると進行方向に盛岡でも
どこからでも見える岩手山が見えます。

新幹線で3時間40分ほどかかる

岩手盛岡は今の時期は新緑が眼を

優しくしてくれます。

そんな場所で、空気も奇麗で、岩手山には

残雪が残り、裾野は小岩井農場で牧場がある

雫石はその南下した場所に位置する。

盛岡駅と雫石駅間は役20分ほどの場所です。

わたしが思い出すのは福田こうへいさんが

生まれる前の1971年、雫石で全日空機と自衛隊機の戦闘機と

衝突して墜落して、自衛隊のパイロットは脱出に

成功したが、全日空機の乗客、乗務員、パイロット全員が

帰らぬ人となりました。生存者は自衛隊パイロット一人だけ。

わたしは盛岡から秋田に向かう新幹線の中で

当時の事故の事を思い出すことが有ります。

1976年に福田こうへいさんは雫石町で

小岩井農場の工場直送の牛乳を町の人達と

一緒に飲んでいたと思います。

福田こうへいのプロフィール

実家家族

家族は岩手県盛岡市玉山に住居を構えています。

生い立ちは雫石町で!

 

岩手県岩手郡雫石町は盛岡市の隣接する

町です。その雫石は田園の中に有って

自宅は農家で和牛繁殖・水稲を営んで

家族そろって過ごしています。

遅い民謡歌手に憧れて!

小学生時代近くの湖御所湖周辺で水遊び

特技としている山菜採りに出かけては

山菜をアルバイトとして、色々な山菜を

採っては、販売店に持って行って、御駄賃を

貰っていたと思われます。

時間が有れば、民謡を父から指導を受けて

父親の岩月さんは、子供には厳しく

少しでも反抗すると暴力的になったりして

怖がって、反抗して不良になった事もあった。

民謡の練習が厳しかったせいか、

福田こうへいは母親に似て穏やかな

顔立ちでいることで、皆に好かれることだと

思っていた。

優しさが、母親とそっくりだった。

音楽、民謡歌手を目指していた

という訳では無かった。

本格的に民謡を習い始めたのは

高校卒業して、盛岡市内の呉服店に

務めて23歳の時に民謡の良さが

少しづつ、分かるようになったのです。

呉服店に営業としてお客様宅を

一軒一軒回っては、和服の商談をして

日々を過ごしていました。

呉服店で働いていた女性店員さんと

知り合いになり、結婚しました。

この時、福田こうへいさんは

民謡歌手としての仕事は

脱サラして2012年10月に

キングレコードから「南部蝉しぐれ」

デビューしました。

そして2013年にはNHKの紅白歌合戦に

初出場、一方TBS系列の日本レコード大賞も

受賞して、本人も驚いていました。

福田こうへいの実家家族!生い立ちは雫石町で!遅い民謡歌手に憧れて!のまとめ

岩手県岩手郡雫石町は田園風景が似合う町

新幹線は窓が開くことは無いですが

牧草の匂いが、雄大な岩手山の風が

爽やかさを届けてくれるそんな町で

民謡が聞こえてくる場所です。

雫石町で幼い頃に遊んだ場所は

牧草地帯、山菜が豊富に生えそろった

丘の上は、福田こうへいさんにとっては

宝の山だったのでしょう。

その山が今は福田こうへいの歌となって

私たちの心の奥底まで響かせてくれる

歌は誰の物でもなく、リズムに合わせて

身体に感じる歌です。

福田こうへいさん、これからも健康で

私たちに歌の良さを伝えてください。

遅咲きと言われていますが、

幼い頃の努力が、家族を大切に、円満に

岩手で過ごしていることは、

家族思いの福田こうへいさんですね。

民謡歌手としてこれからもご活躍されることを

楽しみにしています。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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