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天童よしみすでに高齢者!幼い頃から歌がうまい!出身地は和歌山!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事はデビュー50週年の

演歌・アニメソングの歌手

が先日BSでアニメソング・演歌を

マイクを持って熱唱する歌い手は

小柄でどこからあの発生な歌声が

高齢者で有りながら歌い続けられる

秘訣は幼い頃の出身地の生駒山の麓で

一旦はあきらめたものの夢を

咲かせてくれたおかげで、

今がある。まだ高齢者とは言えない!

衛星放送で歌謡曲・演歌の歌手の方々の

中で歌っている天童よしみさんの

生まれ育った出身地が気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

天童よしみの生い立ち!

 

和歌山県田辺市芳養(はや)町に生まれた

ところは、徳島県と和歌山県の間紀伊水道

が大阪湾への船の道となっている。
芳養町は南紀白浜の温泉地へは

約7km南へ下ったところに有ります。

4歳までは港にも近く、少し足を延ばせば

温泉地と野生動物公園が当時から

人気が有った場所でもあります。

その少女は父親から歌を習い

4歳の時に父親の仕事で引っ越しました。

天童よしみのプロフィール

実家家族

幼い頃から歌がうまい

引っ越しした先は、生駒山の麓、大阪府八尾市に

4歳から住むようになりました。

4歳児はかすかに、芳養町の事は

覚えていると思います。

父親はタクシーの運転手で、お客さんがいない時は

ラジオから流れる歌謡曲や浪曲等を

聴きながら口ずさみ、歌い続けて毎日を過ごしていました。

父親が天童よしみに幼い頃から歌を教えて

先生役をしながら指導者として、歌い続けさせ

小学校1年生7歳の時にラジオ番組の「のど自慢」に出演しました。

持って生まれた声量の凄さに圧倒され

聴いている私達は引き込まれます。

現在でもビックリするほど声量は衰えていません。

7歳をさかいに、大阪ののど自慢大会に出場し

ほとんどの大会で優勝しては、声量が発揮でき

才能を伸ばすようになって天才少女と

呼ばれるようになった。

中学時代は特に歌を続けていて、高校1年生の時

1970年の9月にアニメ「いなかっぺ大将」の

主題歌「大ちゃん数え歌/いなかっぺ大将」で

歌手デビューを果たしたのです。

高校生までは、歌手を目指していましたが

歌手になれなかったら保母さんを

目指すつもりだった。

7歳ののど自慢番組に初出演は毎日放送「素人名人会」

「可愛いじじい」を歌って名人賞を受賞をきっかけに

当時から歌唱力が有ってフジテレビ系「日清ちびっこのどじまん」

に出演して番組プロデューサーから

日本コロンビアを紹介して、フジテレビ系列の

アニメ「いなかっぺ大将」を16歳の時に

吉田よしみ名義でレコードシングル盤を発売したのです。

18歳で華々しくデビューを飾ったものの

その後10年以上下積み生活が続いた。

一旦は歌手を引退することまで考えていた。

しかし、両親から引退しないで続けなさいと

励まされ歌手を再び続けることにしたのです。

出身地は和歌山!

遠ざかったいた時、和歌山時代の事を

思い出させてくれたのでしょうか?

和歌山と言えば南高梅で有名ですこの近くに

芳養町が隣接して、天童よしみは幼い頃に

酸っぱい梅をおやつ代わりに少しだけ

春先はタケノコの皮で、三角に包み、

三角の角を切って、そこから梅の酸っぱい

果肉を食べていたのでしょう。

春夏秋冬、土地柄果実は手に入ったはずですね

梅から始まってみかん、富有柿・干し柿の串柿

それに海にも近くて、わたしはさんまの丸干しを

和歌山の方からもらったことが有ります。

紀伊水道は太平洋からの流れが速く

色々な魚が豊富に取れるところでも有り

春はシラス・マダイ・秋はカマス・クエ・冬はイセエビ・イセエビが

水揚げされ、子供心に魚は嫌いだったのかも知れません。

海を見た時に、紀伊水道の対岸は徳島県

海が割れるのよ」と歌っている曲のように

海の水が無くなれば和歌山と繋がるのです。

曲は韓国のある場所の歌ですが、天童よしみ

幼い頃に思っていたのかも知れません。

1972年18歳の時になって、讀賣テレビの

「全日本歌謡選手権」に出場して10週勝ち抜き

7代目グランドチャンピョンになり

芸名の「天童」は「天から授かった」「童(わら)」に

由来するものだとルポライターの竹中労さんが命名した。

1985年31歳の時14年目にテイチクレコードに移籍して

第1弾のシングルレコードのタイトル「道頓堀人生」を発売

発売に際して、全国(北海道から福岡)の

レコード店へ足を運び営業活動をして、

有線からのリクエストが徐々に増え始め

人気が出始めたのです。

1996年42歳の時に「珍島物語」が発売され

ロングヒットして130万枚を超える売り上げを記録

天童よしみの初のミリオンセラーとなり

ぽっちゃりしたキャラクターは人気者になったのです。

その後1998年に新型インフルエンザまん延を食い止めるために

魔除けとして「よしみちゃん人形」を無料配布して

若い世代の人達に人気者になっています。

天童よしみすでに高齢者!幼い頃から歌がうまい!出身地は和歌山!のまとめ

生まれたのは和歌山県の海沿いの町芳養町(はやまち)と言う

ところで生まれて、4歳まで過ごしたところです。

和歌山で有名な南高梅の場所にも近く

徳島県と和歌山の間の紀伊水道の魚を食べ

果実も豊富な場所で幼い頃を過ごし

新鮮な空気と果物と魚介類を食べて

白浜温泉に最近はパンダがいる

アドベンチャーワールドやサファリワールド

全国の皆さんに紹介している所でもあります。

 

天童よしみは自然に恵まれ、天性のキャラクターの

持ち主でもあるのです。

今は、大阪府八尾市で母親と一緒に暮らしている

そうですが、母親は人工股関節の手術をして

既に回復しリハビリを続けて元気になったものの

天童よしみは母親の面倒を献身的に見ているそうです。

患者さんと看護師みたいな感じで

母親を大切に見守っているのですね。

これこそが親孝行なのでしょうかね。

天童よしみも高齢者の一人です。

自分の事は自分が先生だと思って身体の

管理をしながら、これからも歌い続けて

欲しいものです。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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