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工藤静香の生い立ちと実家家族は!その育った地域はどんな観光地!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただきありがとうございます。

今回の記事は最近見かけなくなった

工藤静香さんが自宅の庭に咲いた

ミモザの花を紹介その花がちょっと気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

最後までお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

そんな、工藤静香の生い立ちをひもといてみました。

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工藤静香のフロフィール

工藤静香の実家家族

  • 両親が最初に住んでいた場所は父親の出身地青森で短い期間暮らしていました。その後
    東京羽村市に住居を移したみたいです。
  • 父親:工藤勘七さん(青森県出身)板前で「津軽」小料理店経営者2005年虚血性心不全のため死去62歳
  • 母親:工藤武子さん(北海道富良野出身)大家族で13人兄弟の末っ子。美容師をしていましたが小料理店が忙しくなって、勘七さんの経営する店を手伝うようになりました。また、子宮がんが以前見つかっていて5年もの間闘病生活を送っていました。
  • 兄:2歳年上の兄は交通事故で亡くなっています。
  • 静香さんは20歳の時には中目黒の家を両親にプレゼントしています。
    木村拓哉さんと結婚した当初も実家で実家と同じ敷地内にある家で暮らしていました。

工藤静香は幼いころから花が好きで

幼稚園の頃は色々な色に関心があって

5月に咲く藤棚のフジを見るのが好きだった。

幼稚園時代はきっと、いろいろな物に

興味を示し、幼稚園年長さんにもなると

大人になっても、その記憶は残っています。

わたしは高齢者ですが、幼い頃の思い出は

子供にとって、インパクトのある出来事です。

 

したがって、記憶に残っていて、自分が興味を示した

事柄や思い出の遊び、女の子は特に色んな花々に

興味を示すはずです。

小学校に入学して、自分の着ている物に

興味を示し、ファッションのある洋服を

着こなしていたそうです。

足を見せたくて半ズボンを頻繁に

履けるようになったみたいです。

少し変わっていたと、後から話してました。

小学校高学年に頃には、オシャレが身について

ヘアーをサーファーカットにする為に

カミソリで自分の髪を切って、

パーマをかけていたそうです。

工藤静香がミモザの花に興味を

示していると聴いた時、

私の家内も、最近花の名前でミモザの花が

黄色く小さな花を咲かせるんだよと言ったので

注目していたら、昨日も道の駅で切り花として

10本ほどのミモザの花を束にして

販売していました。

また、3年ほど前のプレゼントにミモザの

ドライフラワーのリースになった飾りを

息子夫婦から母の日にもらっていました。

花は小さくて黄色い花です。

花の形はスズランみたいに見えますが

実際は小さな花です。春先に咲く花は黄色が

主に咲いているみたいです。

実際のミモザは黄色いの花を咲かせるのは「アカシヤ」

白色は「ニセアカシヤ」、ピンク色は「オジギソウ」と
全て違う植物のことなんです。

と表現されています。

という事は、もともとオジギソウの事をミモザと

呼んでいのですが、「ニセアカシア」が日本に

伝わったとき、花の形が似ていたので

「ミモザノアカシア」や「ミモザ」と呼ばれるようになった。

工藤静香の小学生時代・中学生時代の羽村市は

 

東京から中央線で立川経由青梅線の

羽村駅まで約1時間30分程の場所に有ります。

都会のビルから徐々に街並みが変化して行きます。

多摩川が流れて水の色も徐々に山に近いせいか

透明度を増して奇麗な川となり観光名所が

点在しています。

青梅線の羽村駅手前の福生駅を降りると

米軍基地の横田基地が有ります。

羽村町に隣接して、空軍の練習機が

離発着を繰り返していることもしばしばです。

私は、横田基地と並行して走る国道16線が

滑走路と並行して走っています。

 

空軍基地を利用する基地内の米軍兵や家族が

福生市・羽村市の街に出かけては、日本製品を

購入していしています。

わたしは、40年前に横田基地に入った事が有ります。

そのチャンスが訪れたのは、友人のお姉さんが

空軍の方と結婚して、横田基地に一時住んでいたことが有って

その住まいに、遊びに行ったことが有ったからです。

その時の敷地内のハウスに入って行く時は

検問所が有って、その近くまでお姉さんが迎えに

来てくれてました。

当然、住まいは、土足で入室してましたが

庭の芝生が奇麗に整えられて、

靴が汚れる事もなく、入居できました。

飲み物や食事が美味しくいただけました。

特に、チェリーミルク炭酸360mlは初めての経験でした。

日本にはない味でした。

まだ、缶コーラが出回っていない頃に、缶コーラが

すでにアメリカでは販売されていたのです。

お姉さんに一つお願いをしたことを

思い出しました。

それは、基地に有るスーパーマーケットに

入れるかを聴いたところ、出入り口までは

入れるけど、スーパーマーケット内は日本人は

当時は入場禁止でした。

欲しい雑誌が有ったので購入しようと思ったのですが

その雑誌は、penthouseという本です。

今はスーパーマーケットに入れるか分かりません?

工藤静香さんも福生市の16号線沿いにある

アメリカ人を相手にする多くのお店が有って

まるで、アメリカにいるみたいな錯覚を
当時も潤っていたのではないかと思います。

工藤静香のファッションも多分ですが

福生の16号線沿いのお店を片っ端から

 

見定めて、気に入った洋服やヘアースタイルを

頭の中に入れて、それをデザインしていたのでは

ないでしょうかね?

工藤静香の生い立ちと実家家族は!その育った地域はどんな観光地!のまとめ

工藤静香さんの育った羽村市の隣接する福生市は

横田基地に近く、国道沿いの米軍相手のお店が並んで

そのお店で、色々なアイデアを生み出す場所として

静香少女は育っていたのでしょう。

今でも、国道16号線の横田基地付近の道路は

混雑しています。

また、私が訪れた、米軍基地内の住宅は撤去されて

近代風のマンションがフェンス越しに見ることができます。

静香少女も基地には入った事があるかも知れません。

横田基地ではコロナ前は、空軍機をお披露目する

イベントが有り大勢の人が見学に訪れてます。

横田基地では8月~9月頃にイベント開催されます。

横田基地へはクルマは避けた方が良いです。

当日は福生の町は全ての空きスペースが駐車場に

変わり、時間で数千円の駐車料金を払う事になります。

したがって、車で送り迎えか、電車を利用する

方が良いと思います。

拝島駅、牛浜駅が便利です。

横田基地に入るには、一カ所のゲートしか開いていません。

横田基地開催の時の入場者数は

何と約19万人の来場者数でにぎわっていました。

とにかく、クルマは便利ですが、会場周辺は

渋滞して帰宅時間が大変遅くなりました。

今は、中目黒に移り住んでいる工藤静香さん

幼い頃は羽村市の自然な場所で過ごした頃は

将来の夢がかなって、1%の歌手・女優の道へと

上り詰めて、今は家族みんなが健康で

幸せな時間を過ごす事が大切だと思います。

これからも、歌手・女優として私達に

魅力ある歌声や女優としての演技を見せて

活躍してください。

これからも身体に気を付け仕事を続けてください。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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