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島田紳助の生い立ち!幼い頃は京都南区唐橋で育った!実家家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、2011年に突然

テレビから消えてしまった

島田紳助さん。

暗営業問題でコメントを

受けるなど最近では

復帰の噂もあるそうです。

現在一般人として過している

島田紳助さんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

島田紳助の生い立ち!

京都府南区唐橋町は、京都駅から

新幹線で下り新大阪方面の

A席から走り出した新幹線が五重塔が見えます。

その方向に島田紳助さんは生まれた。

京都は観光地として有名な場所が

沢山あります。

島田紳助さんが生まれた場所は

国鉄の官舎だったのではないでしょうか?

南満州から引き揚げて、国鉄職員となって

京都管轄、関西であれば大阪(梅田JR西日本本社)で

仕事をしていたのかは、明確では有りません。

そんな、島田紳助さんが

幼い頃は、ひとりっ子だったことで

非常に甘やかされていた。

欲しいものが有ればねだっていたら

高価なおもちゃを買ってくれていた。

小学校に入学して卒業するまで

靴下を母親が履かせてくれていた。

普通の家庭でも同じだと思っていた。

父親は教育熱心で、小学校3年生から

家庭教師を付けてくれた。

父親は自分が勉強したくても

実家が染物屋の次男として生まれ

長男が跡を継ぐ事で次男は勉強をしなくてもいい。

そんな風習が日本には残っているのです。

幼い頃は京都南区唐橋で育った!

そのために父親は島田紳助さんには

勉強をと思って教育熱心な父親でした。

子供の頃は夏休みや冬休みには

母親の田舎の実家に遊びに行き

いとこのお兄ちゃんと自然を満喫していました。

友達と自宅で遊ぶときは、友達が

自分の部屋で長くいてもらいために

面白い話をして、友達を帰さなかった。

小学校時代は食事の時、

母親が島田紳助さんの口を開けさせて

食べさせていた。(それが当たり前だと思っていた)

小学校を卒業して公立の中学校に入学しました。

小学校から中学校までの距離は約260mと

歩いても5分もかからない場所です。

中学校に入学した島田紳助さんは

中1までは普通の生徒だった。

部活動は廃部になりかけた剣道部に所属し再建した。

学年が変わって2年生になった時に

徐々にグレ始めたのです。

その理由は国鉄に勤めていた

父親が昇級試験の筆記試験は合格するが

面接試験になって、いつも不合格になった。

そのことをどう受け止めたのか島田紳助さんは

人間は真面目なだけではダメ」と思ったのです。

中学2年生ごろから勉強をしなくなった。

勉強は嫌いではなかったが、落第ギリギリの

勉強しかしなかった。

素行不良で学校の窓ガラスを割ったり

学校で盗品を販売したりしていた。

また、授業をさぼり途中抜け出して

パチンコ屋に出かけていた。

なんとか、中学校を卒業して

高校受験を果たし、私立大谷高等学校に

入学することができた。

学校は新幹線の下り左側、

京都駅に近い場所に学校が有ります。

学校の校庭フェンスには、伝統校らしく

スポーツ選手の垂れ幕が飾ってあります。

スポーツが盛んな高校として知られています。

高校は仏教系の学校でした。

入学してからもグレるのがエスカレートして

応援団、暴走族のメンバーになった。

タバコ、シンナー、恐喝は日常茶飯事

20人の仲間たちはケンカが弱く

もめごとは話し合いで決着して。とネタに。

バイクでトラックと衝突して全身を強打したが

奇跡的に大怪我はしなかった。

高校時代、ボクシングをしてアマチュアの

大会に出場した結果は?

高校中学とグレていた事で、犯罪が発覚して

家庭裁判所に送致された。※窃盗の元締めとして

仲間が盗んだものを売りさばいていた。

高校時代のアルバイトは中央市場だった。

高校から北西に歩いて約50分かかる。

学校行事の文化祭で「仁義なき戦い」の

劇に主演した

「メンズクラブ」の編集部へ

嘘八百の手紙を仲間と送った。

その雑誌「メンズクラブ」に掲載された。

高校生の修学旅行は他校の生徒との接触を避け

宿泊先は全て山の中、自由行動はほとんどなかった。

思春期の高1の時に友達の紹介で

知り合った女子高生と交際し、夜の神社でキス。

失恋して数ヶ月で突然の別れを味わった。

高校卒業して大学受験は面接だけで

合格して入学できた。

この大学経済学部は4年間通っても、

何も得るものはないと考えて

芸人の弟子入りすることにした。

親は入学金を納付した直後に

大学を中退した。

そのため、大学の門を潜った事は一度もなかった。

島田紳助(しまだ しんすけ)のプロフィール

実家の家族

  • 父親:国鉄職員(南満州鉄道職員歴有り)JR西日本(退職時)
  • 母親:一般人です。
  • 長男:本人

家族(ハワイ暮らし)

島田紳助の生い立ち!幼い頃は京都南区唐橋で育った!実家家族は!まとめ

京都市の南区唐橋で両親の元

ボンボン育ちで、全てが満足行く

子供だったようですね。

父親の仕事は国鉄の職員で

昔は国鉄職員の家族には

タダ券が支給されて、旅行に

買い物にと、京都だと大阪梅田で

買い物をしては、乗車券を改札口で

提示して、勿論、島田紳助さんも

一緒に出かけていたのでしょう。

そんな、幼い頃何の不自由もなく

中学の1年生まで過ごしてきていた。

しかし、2年生になって転機が訪れたのです。

グレて、自由を奪われたかのように

自分を自由にするものを見つけるのに

皆と違う方向へと進んだ時期を経験に生かして。

新たな気持ちで、笑いをと届ける

芸人の道に進んで、島田洋之助・今喜多代さんに

弟子入りしていますが、当時国鉄職員だった

父親に猛反対された。

しかし、本人の意志は堅く、

父親が折れた「好きにしろ」と弟子入りを

認めたのです。

大学を中退し、お笑いの道に進んだ

島田紳助さん、あれから2011年に

突然テレビから姿を消して

父親の心境を今になって分かって欲しい。

人間はいくら金持ちになっても

その人の人生にとって、生き方は違いますが

その日暮らしの人もいます。

人生楽しく生きて行ければ本能です。

そんな中、島田紳助さん

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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