わくわくウキウキブログ

火野正平自転車が好きで誰にも邪魔されず去った!東京、岐阜、大阪で育った!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

後期高齢者の仲間入りと思っていた矢先

自転車と一緒に天国へ

誰にも邪魔されずに、煙草をくわえて

去っていった。

ご冥福を祈ります。

記事は、北海道から沖縄を

後期高齢者の火野正平さんが

愛車の自転車を走らせては

その土地の思い出を語ってくれる。

そんな、視聴者から幼い頃過した

場所で手紙を読んで

懐かしい思い出話に耳を傾けます。

そんな、愛車で雨天、風雨、快晴と

気象条件に負けず、進んでだ後の

達成感は、火野正平さんにとっては

自分も幼い頃を思い出して

故郷を思い出している。

そんな、火野正平さんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが

気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

火野正平の生い立ち!

東京目黒区は東急線に乗車して

分かりますがすこし小高い丘を

走って、名前の通り自由が丘まで

なだらかな下り坂になっています。

父親は火野正平さん3歳の頃

実の父親は亡くなっています。

その後、母親が再婚して育ての

父である継父との長い間

幼い頃から一歩も譲らない

意見の相違が生じていた。

転勤族だった父は、工場で技術を教える

エンジニアサポートの仕事をしていた。

母親は家で駄菓子屋をやっていた。

火野正平さんはちょくちょく

駄菓子をつまみ食いしていたとは

話していませんが、1個や2個は

半ズボンの小さなポケットに入れて

持ち出していたでしょう。

幼い頃から自転車が好きで、東京、岐阜、大阪で育った!

3歳の時に父親(義父)の転勤で

岐阜県大垣市に住んでいます。

大垣市は色々な工場が隣接して

岐阜市には大手の川崎重工業の飛行機、

三菱重工業の工場等、大手の会社が有ります。

大垣の借家は当時としては日本家屋の

住宅で、自宅を守る蛇が住んで

いたそうです。

自宅の守り蛇だったのでしょう。

幼い頃は田舎の友だとも直ぐなれて

一緒に松茸狩りを楽しんだり

川遊びをして一日を過ごしていた。

自宅には当時娯楽を楽しむには

白黒14インチのテレビが有って

テレビ番組は外国の名犬ラッシー等を

好んで見ていた。

小学校4年生になって、父親の転勤で

再び東京都目黒区大岡山に移り住みました。

国鉄の駅は無く、国鉄乗り換えの

大井町から私鉄の東急大井町線で

大岡山駅約30分、又は目黒駅から東急目黒線を

利用して大岡山駅まで約15分で到着します。

小学5年生の高学年の頃

近所の小高い山に防空壕を

秘密基地で友達と遊んでいた。

自宅に下宿していた女子学生の

お風呂を良く覗いていた。

少しませた男の子だったのか

いや、少し遅めのませた男の子

だったのかも知れません。

小学校を卒業して、また、父親が

大阪府豊中市に転勤になり引っ越しした。

そのころ、「劇団こまどり」に所属しています。

11歳から子役として活動を始める

継父と息子の折り合いが悪く

母親は少しでも2人が離れる時間を作ろうと

継父の休みの日曜日は火野正平を外へ

連れ出して、行き先は劇団に行き入団させた。

子役として火野正平さんは1963年の

「忍者番号十七番」1964年「まぼろし城」

「天兵童子」他多くのテレビ番組に出演した。

当時の名前は芸名ではなく本名の二瓶康一で

活動していた。

中学時代は自転車が好きで豊中市から

京都撮影所(太秦映画村)までの距離

40.8Kmですので時間にして20km/h

スピードを出しても2時間は当然かかっていたと

思われます。

因みに、豊中から歩いたら8時間30分以上

かかります。

豊中でサイクリングクラブに入部していた。

自転車でクラブの催し物で琵琶湖一周、

淡路島一周に挑戦した。

この間もテレビで活躍して俳優として

転機が迎えた1973年NHKの大河ドラマ

「国盗り物語」で木下藤吉郎(豊臣秀吉役)を

演じた24歳の時に「火野正平」名義での

活動を始めたのです。

名前の由来は池波正太郎さんが

事務所の社長と繋がりが有って

池波から「正」の文字をもらった。

高校時代まで大阪府豊中で過しながら

俳優としての道を歩いていた。

継父と一緒にいると火野正平さんは

常に火花が散る光景で、

母親も、懸命に引き離そうとして

劇団への道を勧めた。

火野正平のプロフィール

実家の家族

  • 父親:3歳の時に死別
  • 継父:一般の方です。再婚相手
  • 母親:一般の方です。
  • 長男:本人
  • 愛犬

家族

火野正平自転車が好きで誰にも邪魔されず去った!東京、岐阜、大阪で育った!まとめ

 

東京都目黒区の生まれで、

3歳の時に死別して、母親は再婚しました。

再婚相手は、転勤族であったため

東京目黒区、大垣市、東京目黒区、大阪府豊中市と

転勤と同時に学校も転校しています。

火野正平さんは継父とケンカが絶えなかったのです。

母親は心配して、父親とできるだけ

合せないようにするために、日曜日に

劇団に入る事を勧めたのです。

当時の火野正平さんは、父親と離れる事だけを

考えていたのでしょう。

実家に居ることをうすうす感じていたと思われます。

劇団に入って、自分の道は自分で

探す事だと感じ取ったと思います。

幼い頃から自転車が好きだった

火野正平さん、今はテレビの番組で

全国を走り回っています。

間もなく後期高齢者の仲間入りです。

自転車に乗っている服装はまだまだ

若者に負けないくらいのデザインです。

これからも、体に十分気を付けて

健康でさらなるご活躍される

ことを期待し応援して行きます。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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