こんにちは、自由 まなぶです。
わくわくブログに
お越しいただき
ありがとうございます。
今回の記事は、一度は目に触れ
使ったことのある品物を世界に
広めた京セラの創業者にして
名誉会長であった
稲盛和夫さんです。
2022年8月30日に
訃報が報じられました。
今、国葬問題で世間は騒いでいますが
私は、稲盛和夫さんこそが国葬です。
日本人の資産家ランキングでも
TOP10内に入る成功者の
一人でしょう。
そんな、稲盛和夫さんの
生い立ちや育った場所が
どんな所だったかが
気になったので
記事にまとめていきます。
短時間(約3分)でお読みいただけます。
稲盛和夫さんの生い立ち
鹿児島市内のほぼ中心部の薬師町は
東に城山公園が有り、城山に登と
真正面には毎日高々と噴煙を上げる
鹿児島のシンボル桜島が生きていると
しています。
また、お正月には欠かせない
照國神社に鹿児島市民が
大勢の人がお参りに訪れます。
また、九州の鉄道で東周りの
日豊線の終点駅は鹿児島駅でした。
また、鹿児島本線の終点駅は
旧西鹿児島駅でした。
新幹線が開通してからは
名前を鹿児島中央駅と変更しました。
当時の鹿児島は、戦争さなかで
父親は印刷会社を経営し
働いていました。
幼い頃育った場所歴史ある場所
小学校に入学して、学校の側に
西鹿児島駅が有り、駅前の
ローターりーで子供達は
学校帰りに遊んだことです。
今の西田小学校とは
500m程南に下がった
鹿児島中央駅の新幹線線路沿いに
学校は有りました。
新幹線開通に伴って
西小学校は500m北へ移転しました。
稲盛和夫さんは母校が移転した事を
知っていたでしょうか?
薬師町の東側には西郷隆盛のゆかりの地が
多く有ります。
城山には西郷隆盛が隠れた場所
洞窟が坂道に、西南戦争薩軍本陣跡
五代友厚の誕生地・西郷隆盛終焉の地
そして鹿児島城(鶴丸城跡)の
石垣には弾丸の後、激しかった事を
物語っています。
明治維新から大正にかけての
歴史の跡が残る鹿児島市内で
稲盛和夫さんは小学時代から
実家の印刷業のイロハを父親に
教えて貰いていたが
体が丈夫ではなかったために
小学校卒業したころに軽い結核に
かかってしまった。
家族や特に母親や兄弟が
面倒を見てくれて本人は
非常に助かったのでした。
印刷物の出来上がり品を
どうやって売ればいいか、
「同じ場所の販売ではなく」
13歳の中学生の時に父親の経営する
「稲盛調進堂」の印刷工場が
空襲で焼失してしまった。
終戦直前1945年8月の空襲で
空襲で被害に遭いました。
生活環境が厳しくなって学問への
道は閉ざされかけたのですが
父親が作った紙袋を、稲盛さん自身が
売って歩いて生計の足しにしたそうです。
鹿児島市内を7区画に分けて
海側、山側、東、西、南、北、市内中心部を
同じ曜日に回る順番を決めて組んで販売。
この経験が、小売ッ顧客の要望に
応えて、経営者としての
センスが培われたそうです。
稲盛和夫のプロフィール
- 本名:稲盛和夫(いなもり かずお)
- 生年月日:1932年1月21日
- 出生地:鹿児島県鹿児島市薬師町
- 身長:非公表
- 体重:非公表
- 血液型:AB型
- 星座:水瓶座
- 学歴:鹿児島市立西田小学校卒
鹿児島第一中学校の受験に失敗
鹿児島第一中学校の再試験するも不合格
鹿児島中学校に進学 (鹿児島市立玉龍中学校)
鹿児島市高校第三部に入学(鹿児島市立玉龍高等学校)
大阪大学を受験し不合格
鹿児島大学工学部応用科学科卒業 - 趣味:ゴルフ・読書
最近受け取った表彰
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実家家族
- 父親:稲盛畩一(いなもり けさいち)鹿児島市内で「稲盛調進堂」印刷業を営んでいました。
- 母親:キミさん(印刷業を手伝っていたと思われます)
- 長男:稲盛利則さん
- 次男:稲盛和夫
- 三男:一般の方です。
- 長女:一般の方です。
- 次女:一般の方です。
家族
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【国葬】稲盛和夫の生い立ち!幼い頃育った場所歴史ある場所!実家の家族は!
まとめ!
生前から「生きる」を志していた
稲盛和夫さん、鹿児島で桜島に
どんな希望を持って、故郷を後に
人生「生きる」ことは、希望に満ちた
自分そのものだと思います。
そんな方が【国葬】されるべきでは
ないでしょうか。
○○や○○を残して解決していないまま
国葬なんて、国民は怒っています。
しかし、世界に名を轟かせた
稲盛和夫さんは立派な方でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
今日もわくわくウキウキブログを
最後まで読んでいただき有難うございました。