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加賀まりこの生い立ち!幼い頃育った場所は神田区小川町・今神楽坂!実家の家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、女優の

加賀まりこさんです。

映画から遠ざかって

すでに後期高齢者の仲間入り

していた加賀まりこさん。

その加賀まりこさんが久し振りに

映画出演が決まり、役柄の

老いた母親役はそのものでした。

現代社会で在りがちな作品に

真剣に取り組んで溶け込んだ。

後期高齢者とは思えないほど

若々しく演技されたを見て

そんな、加賀まりこさんの

生い立ちや育った場所が

どんな所だったかが気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

加賀まりこの生い立ち!

東京山手線内側に小川町が有り

国鉄の神田・秋葉原駅も周囲400mから

500m程の所にあった。

北側にはお茶の水・西側には神保町と

当時は学園都市として小川町と神保町に

本屋さんが軒並みにずらっと並んで

学生さん達の専門書を並べていた。

学生街には喫茶店や食堂が並び

当時の喫茶店の値段はコーヒー一杯30円

ラーメンが一杯50円時代です。

うどんに至っては約20円で

素うどんが食べられていた時代です。

加賀まりこさんには13歳年上の兄、

12歳年上の姉がいました。

加賀まりこさんは末っ子で

二人の兄・姉に可愛がられていました。

姉の本好きな影響で街に出ると

至る所に本が有り本屋さんで

少し立ち読みをしていた。

また、教室で掃除をさぼる子には

ほうきを持って「掃除しなさい」と

言って追いかけていたそうです。

下校時間、学校から自宅近くまで

タクシーに乗って帰宅した。

当時の都内には都電が302号線を走って

いました。

今は地下鉄になわっていますが

加賀まりこさんが幼い頃は

まだ、地下鉄は浅草から渋谷迄の

銀座線だけが走っていたのです。

通学に都電を使っていたと思われます。

小川町から九段下へは1.5kmの場所へ

通学していました。

父親はとてもダンディーな人だった。

勤め先が大映のプロデューサーで

仕事上、俳優さん達に有っていたから

身だしなみはいつもきちんとしていた。

裕福な家庭で育っています。

母親は若い頃は「神田小町」と言われるほど

美人だったと話しています。

中学時代は陸上部に所属して

2年生の時走り幅跳びの都大会で

優勝しています。

学校の成績もよく、文武両道タイプの

女子生徒だったのです。

思春期時代は一人前のレディーとして

扱ってくれた「オシャレじゃない女はバカだ」と

いつも父親から言われていた。

加賀まりこは父親は

永遠の理想の男性だと思っていた。

父親が「大映」の映画プロデューサー

だったことから自宅には、黒澤明監督

美空ひばりさんといった芸能人が

訪れる環境だった。

母親の考えに影響を受けて

自由奔放で、なおかつ、思ったことは

何でも口にする、歯に衣きせぬ

毒舌な少女に育ったそうです。

世間体を気にするのは最低だ。
学歴や経歴で人は決まらない。

高校生になってからは行動範囲は

広がり自宅から六本木・青山・麻布界隈で

高級レストラン「キャンティー」に

学校帰りの制服のまま通っていました。

キャンティー」は著名な方々が利用する

ただのレストランではなく、日本の最新の

文化を発信するメディアのような

役割を担っており、キャンティーの女主人・

川端梶子さんの考え・生き方に感銘したそうです。

高校生時代は遊ぶお金を稼ぐために

モデルのアルバイトをしています。

1960年高校2年生の時、制服姿で神楽坂に

居たところを作家の寺山修司さんと

映画監督の篠田正浩に声をかけられて
映画のヒロイン役の女優を探して

いたところに、たまたま加賀まりこさんに

声をかけたのです。

父親の仕事を知っている訳ではなかったが

映画界の人は知っていたが、加賀まりこさんは

全く興味が無く、女優になるなんて思ってもいなかった。

父親にスカウトされたことを話し、相談した。

加賀まりこで役に立つのなら、やってあげなさいと

言われて、1962年「涙を、獅子のたて髪に」

高校2年生で映画デビューしました。

高校は女優デビュー後、中退しています。

ちなみに、加賀まりこさんの芸名の

名付け親は写真家の秋山庄太郎さんだそうです。

加賀だったら「まりこ」が明るくていいんじゃない!と

その後、20歳の時、次々と舞い込んでくる

仕事と女性週刊誌がイメージだけで書く

記事に嫌気がさして、人生をリセットする目的で

半年先までのスケジュールをキャンセルして

単身でパリに渡ります。

加賀まりこさんはかぐや姫になったつもりで

悠々自適も半年で帰国しました。

その後はわたしの耳にも入ってきました。

今は新宿区神楽坂に自宅は有ります。

加賀まりこのプロフィール

実家家族

  • 伯父:加賀一郎(陸上競技選手)
  • 祖父:加賀卯之吉(衆議院議員を務めた)
  • 父親:加賀四郎(大映のプロデューサー)
  • 母親:「神田小町」と呼ばれていた。一般の方です
  • 長男:13歳年上の兄
  • 長女:12歳年上の姉

家族

  • 夫:6歳年下の方
  •  :本人
      27歳の時に出産後わずか7時間後この世を見ることなく静かに目を閉じた。

加賀まりこの生い立ち!幼い頃育った場所は神田区小川町・今神楽坂!実家の家族は!
まとめ

加賀まりこさん、既に後期高齢者で

有りなら、女優としての演技は

衰えを見せていません。

わたしは、映画は予告編を見て

高齢になっても一人の人間としての

最後をみとる事は出来ないかもしれません。

そんな、方達が全国に大勢います。

顔を見れば、この子はそうなんだと

分る、小さな子でも見分けがつく

世の中に生まれてきた以上は

生きて行く時間は他の人から見れば

短いかもしれませんが、

彼らは精一杯、一日一日を頑張って

生きているのです。

わたしの勤めていた会社でも

会社の何割かを採用して

会社で仕事をしてもらっています。

毎日楽しそうに仕事をして

声をかけてあげると、ほほ笑み返しが

穏やかな顔をして、わたしに

投げかけてくれました。

そんな、映像が加賀まりこさんからも

伝わってくるような気がします。

後期高齢者と線を引くのではなく

みんな人間ですからね。

これからも健康でご活躍を期待しています。

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