わくわくウキウキブログ

中村雅俊の生い立ち!幼い頃育った場所は女川町の港町!実家の家族は!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は、俳優で歌手の

中村雅俊さんです。

中村雅俊さんは学生時代から

下駄を履いて日常生活を送っていた。

慶応大学出身の在学中は常に

下駄を履いて通学、アルバイト先や

劇団文学座にも日頃から使っていた。

そんな中村雅俊さんの生い立ちや

育った場所がどんな所だったか

が気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

中村雅俊の生い立ち!

宮城県は仙台市から牡鹿郡女川町までの

距離は約68.6kmと車で

約1時間20分かかります。

また、電車では仙石東北ライン・

石巻線を利用すると最短で約1時間40分

かかります。

女川町は宮城県の太平洋に面してた

東海岸沿いに有ります。

この町は漁業が盛んで女川漁業が有り

日本有数の漁港が有ります。

そんな場所で中村雅俊さんは潮騒の

香りをかきながら、育っています。

女川と聞けば女川原子力発電所が

あるところです。

中村雅俊さん、女川にいる頃はまだ

着工されていなかったのです。

当時は、漁港は漁民たちであふれ

夜は、ネオン街が輝き、若い衆たちが

漁業の町で楽しんでいたのです。

今は、当時とは変ってしまい

新しい女川町が徐々に

活気づいてきています。

魚介類の水揚げも徐々に増え

威勢のいい声が、朝から市場で

響いています。

そんな光景を中村雅俊さんは

幼い頃に遊んだ場所を思い出し

一つ一つ、踏みしめながら

漁港の潮の香りを受けながら

青春時代を思い出しています。

中村雅俊のプロフィール

幼い頃育った場所は女川町の港町!

太平洋側リアス式海岸が始まる

位置に面している町です。

父親はかつお節職人で

母親は魚介類の行商人として

長男5歳の時に亡くなり

二人の姉がいて、次男の中村雅俊

5人家族で、末っ子の中村雅俊さんは

両親、姉に可愛がられていました。

そんな家庭も父親が病に倒れて

40歳の若さで亡くなっています。

少しは裕福な生活を送っていましたが

大黒柱が居なくなって、母親一人で

3人の子供達を育てなければ

ならなくなったのです。

母親は自宅を改造して「BAR八重」

立ち上げて、商売を始めました。

女川町は漁業の町で、若い船員さんが

陸に上がって、海の仕事で疲れた

体を癒してくれる場所へ出かけるのです。

女川町は一杯の飲み屋の他に

BARが所狭しと繁華街がネオンが

潮の香りを載せて朝まで照らしていました。

中村雅俊さんが小学生に上がる前は

母親や姉2人が可愛がりあだ名が「王子」

呼ばれていた。

小学校時代はそろばんを習って

全教科の成績は優秀でした。

学校の下校中に急にお腹を痛め

帰る途中で、自宅まで我慢しようと

したが、自宅に行き着く前に便を漏らした。

我慢できなかったと悔やんだ。

そろばん塾は、中村雅俊さんより1つ年上の

女の子がいて一緒にそろばんを習っていた。

その女の子は転校したが

そろばん2級を取るまで続けた。

学校の先生が実家の店に来て

酔っぱらって中村雅俊を説教した。

中学生になって部活はバスケットボール部に所属して

主力選手として活躍してチームのキャプテンも務めた。

中学時代に流行していた英国のグループ「ビートルズ」が

ラジオから流れ衝撃を受けて、音楽にはまった。

この時の曲は「プリーズプリーズミー」でしよう。

当時の中学生以上はとても驚いていました。

母親の仕事が忙しく、毎日の食事代に

テーブルの上に200円が置かれて有り

食事代としてもらっていました。

100円は食事、残りの100円は貯金して

当時流行していたグループサウンズの

レコードを買うために貯めていました。

中村雅俊さんはどんなレコードを買いましたかね?

中学時代は思春期で実家のBARと連結して

している家に若いホステスさんが下宿し

下着で廊下や部屋の中をうろうろしている

姿を見て興奮していたのです。

中学時代、先生にマスターベーションの

やり方を教えて貰ったそうです。

身長も3年間で25cm伸びたそうです。

中学3年生から大学時代まで

初恋の女の子と初交際した。

高校は石巻高校に入学しました。

小中高校と成績は優秀で

毎年、学級委員を務める、典型的な優等生。

高校時代も中学時代から引き継いで

バスケットボール部に所属してキャプテンとして

文武両道でした。

また、バスケットボール部の先輩の影響で

ギターを始めています。

高校卒業後、受験に失敗し

一浪生活を送って難関の慶応大学に

見事合格しました。

大学時代は、アルバイトで下宿代

食事代、学費(4期)を稼いでいました。

志した外交官を諦め、中村雅俊

トレードマークの下駄を履いて

彼女に会うためにも履いて行った。

上京して1973年に俳優として

テレビドラマの「太陽にほえろ!」で

出演デビューしました。

実家家族

  • 父親:かつお節職人(江島出身)(享年40歳)
  • 母親:魚介類の行商・自宅を改造してBAR八重を経営経営(94歳他界)
  • 長男:他界(享年5歳)
  • 長女:5歳年上
  • 次女:3歳年上
  • 次男:本人

家族

  • 夫:本人
  • 妻:五十嵐淳子(1977年-)
  • 長男:中村俊太
  • 三女:中村里沙

中村雅俊の生い立ち!幼い頃育った場所は女川町の港町!実家の家族は!
まとめ

東北の港町女川町で育った少年は

何時しか、高齢者になっていました。

幼い頃から裕福で育った思い出を

私に教えてくれたのは、

思春期の ビートルズの曲がラジオから

軽快な今まで聞いたことのない

ギター演奏が耳に伝わってきた。

その彼も、後期高齢者なんです。

残り少ない、俳優人生を

これからもご活躍を期待しています。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

 

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