わくわくウキウキブログ

川中美幸の幼い日の生い立ち!幼い頃から歌が好きでカラオケから!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただき

ありがとうございます。

今回の記事は日本の演歌歌手の

川中美幸さんがデビュー45周年

デビューコンサートを開催されたのを

聞き、生まれ育った出身地が気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

川中美幸さんの出身地は鳥取県米子市で

生まれています。

現在、米子市は鳥取県の西部に位置し人口は

鳥取市に次いで第2位の77,543人です。

人口集中地区人口が比較的多い市町村です。

鳥取県の中でも鳥取市47.55に次いで2位36.6%

倉吉市8.1%、その他の人口です。

米子市が如何に人々が集まるか分かります。

水木しげるさんも鳥取県出身です。

米子空港も通称名鬼太郎空港になっています。

川中美幸は小学校に入学する前まで

6歳又は7歳前まで住んでいたと思われます。

川中美幸のプロフィール

実家家族

父親:川中武雄(2011年亡くなっています)
母親:川中久子(2017年亡くなっています)
本人
弟:川中良晃

川中美幸の幼い日の生い立ち!

実家の米子市で食料店を経営していました

美幸さんの名前は、お店の常連さんが

姓名判断の先生に頼んでつけたそうです。

幼い頃に父親が自家用車で酒気帯び運転して

人身事故を起こして、自動車の保険に

入っていなかったことで、補償金支払いに

借金をしてしまいました。

父親は酒に溺れ、病気がちで食料店も

続けられずに、母親が給食のアルバイトをして

少しでも稼ぎをして返済に充てていたと思われます。
アルバイトのお金で少しでも家計を助けていましたが

日々苦しい生活が続きました。

そんな中でも、父親が三波春夫の曲、母親が美空ひばりの曲が

好きでいつもお店のスピーカから音楽が流れて

自然と川中美幸は口ずさみ歌っていたのです。

2歳になった時に、母親の実家であった

大阪吹田市に引っ越す事になったのです。

吹田市の小学校としか情報は有りませんが

小学校で歌をうたわせると上手だったことが

結果に出たのです。

幼い頃から歌が好きでカラオケから!

小学校3年生の時に家族で温泉旅行でたまたまカラオケ大会に

飛び入りして出場した、なんと自宅で口ずさんでいた

効果が発揮できて優勝してしまいました。

優秀賞品は勉強机をもらった。

その後両親はカラオケ大会や「ちびっこのど自慢大会」の

話を聞くと娘の川中美幸を出場させるようにしました。

小学校時代から大阪に引っ越してきてから

大阪では、エントリーするだけで優勝候補といわれ

「のど自慢あらし」とまで言われる川中美幸

なっていったのです。

その後も歌が川中美幸にとっては、音楽の道に

進むために、中学2年生の時に作曲家のもず唱平さんの

もとで歌のレッスンを受けていた。

もず唱平さんの薦めで、中学校を卒業して

実家を離れ上京します。

もず唱平さんの紹介で芸能プロダクション

入りました。

中学校を卒業して芸能プロダクションと高校へ

進学する為に、高校は夜間(定時制高校)に

通える高校を選んだと思います。

高校は江戸川区の荒川側にある都立小松川高等学校へ

両立しながら歌と勉学に励んで、定時制は3年間ではなく

4年間授業を受けて卒業するのです。

今は、小松川高等学校には定時制課程は

2009年に廃止されました。

ワーナー・パイオニアに所属し、

18歳の時「春日はるみ」という名前でデビューしました。

当時はポップスが大流行(山口百恵・桜田淳子・南沙織)と重なって

いつも、カラオケ大会で優勝し続けていた雰囲気と違って

歌う曲がヒットせず、心境に強い挫折感をいだいたのでした。

父親の身体の体調が悪化して、結局大阪吹田に帰って

父親の看病で歌手から離れてしまいました。

母親が開店したお好み焼きを手伝居ながら

入院先で寝泊まりしていたそうです。

再びもず師匠から度々連絡がきて

演歌とは!年齢を重ねた人に心に伝わるように歌えない。

と言われ、これからだ!再び上京して

21歳の時大阪毎日放送主催の「ネオン街音楽祭」で

見事グランプリを獲得しました。

そして、25歳の時1980年に発売された「ふたり酒」が

ミリオンヒットの曲となりました。

翌年、1981年、紅白歌合戦初出場を果たしました。

その後、うなぎ登りの人気となり、カラオケ時代から

当たり前のように優秀と言う文字が、

今度は演歌には無くてはならない人になったのです。

川中美幸の幼い日の生い立ち!幼い頃から歌が好きでカラオケから!のまとめ

鳥取県米子市に生まれた、川中美幸さん

幼い頃の思い出は、食料店で流れていた

音楽を口にして歌っていた頃の思い出が

今も頭の片隅に残っているのでしょう。

これからも、演歌の大御所として

わたしに聞かせてください。

こぶしがきいた演歌節を!

既に60歳を超えた高齢者です。

これからも元気で歌い続けて、

私たちを元気づけてください。

身体に気を付けて、歌い続けてください。

身体は資本です。

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今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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