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目黒祐樹さん後期高齢者の今!若い頃の青春の思い出は留学したこと!

こんにちは、自由 まなぶです。

わくわくブログに

お越しいただきありがとうございます。

今回の記事は朝ドラに出演中の

目黒祐樹さんが高齢者の叔父さん役で

演技を披露していたのが気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

目黒祐樹さんと言えば、兄の松方弘樹さん

父親の近衛十四郎さんの家族は

東映の時代劇スターでした。

目黒祐樹さんは幼い頃に子役として

東映のテレビ時代劇「風小僧」

第一作目に主演しました。

目黒祐樹のプロフィール

目黒祐樹は5歳の時に子役として

既に東映の映画に出演していたのです。

主に時代劇の子役として出演し

1959年は中学1年生でテレビ時代

徐々に普及し始め、まだまだ一般の

家庭ではテレビを持っている家庭は

地域の地主さん、農家の村長さんの

自宅の床の間、大広間に当時のブラウン管

方式のテレビの大きさは14インチ程

画面に現れる映像は白黒でした。

子供達や大人までが集まって

当時のテレビの価格は175,000円

当時のお金としては10万円は今のお金に換算すると

120万円ですから、204万円のテレビ

購入した事になります。

ビックリですね。

1959年映画館の入場料は子供65円大人170円でした。

子供の頃は、小学校から下校して夕方の

番組を、お金持ちの自宅にお邪魔して、

その子の実家で、正座してして、

テレビを観ていたと思います。

番組の放送中は黙って見ていたことを思い出します。

目黒祐樹が子供役でタイトル「風小僧」

1959年にテレビが開局し、時代劇を

ブラウン管方式のテレビで白黒画面に釘付けで

観ていました。

風小僧を観ては、町内の子供達と一緒に

竹を小刀で切って、刀の長さ1m程の物を作り

チャンバラごっこをして楽しんだものでした。

風小僧になった気分で遊んでました。

中学校の途中で子役を辞めています。

学業に専念すると言って中学校・高校は

中高一貫校の同志社の中学校に進学します。

京都市内の北側に学校が有ります。

もし、実家の京都府南丹市しから通学していたら

片道1時間40分の道のりを往復2時間20分

掛けて通っていた事になります。

考えられることは学校の寮、下宿をして

通学していた可能性はあると思います。

目黒祐樹の事ですから、学校帰りに

東映京都撮影所に通った可能性

あるかもしれませんね?

父親近衛十四郎は映画

出演料はかなりもらっていたと思われ

子供目黒祐樹さんの教育には、兄の

松方弘樹さんよりも出資してたと思われます。

同志社高等学校を中退して、外国の学校へ

学びの場を替えて、将来の仕事に生かせる

学校を選んでいたのだと思います。

高校を中退して、アメリカ合衆国のハワイの

Saint Louis School 男子校へ進学します。

ここで、英語を話せるように習得して

行ったのです。

Saint Louis School 男子校は8月末から新年度

学費年間は$17,000

日本円(1ドル120円)にして2,040,000円です。(現在の価格です)

当時の日本のドル建ては360円でしたから

6,120,000円の授業料が必要でした。

当然、学費は父親からの仕送りだったと思います。

その他に、ホームステイ・学生寮の滞在費として

年間$15000日本円にして5,400,000円が

必要になっていたはずです。

今のドル建てで1,800,000円の費用が掛かります。

目黒少年は、ハワイでアルバイトをしていたかは

分かりませんが、趣味に水泳・ゴルフと有り

アルバイトにゴルフのキャディーもしくは

海岸沿いで旅行客の海水浴監視でもしていたのでしょうかね?

ハワイのSaint Louisハイスクールを卒業して

次に向かったのが私立大学の映画芸術の研究で

知られ南カリフォルニア大学に入学します。

現在の費用として学費と生活費を

合わせて年間850万円かかります。

目黒少年は、中退して帰国します。

再び映画俳優として復帰して

活動を始めました。

目黒祐樹の幼い頃の生い立ち!若い頃の青春の思い出は留学したこと!のまとめ

目黒裕樹さんの歴史を振り返って見ました。

父親が俳優で有った事で、裕福な家庭に育ち

アメリカに留学する事は当時としては

珍しいと思いました。

終戦後、アメリカの学校へ留学して、語学力を

身に着けようとハワイへ留学します。

ハワイでは色々な事を学び、アメリカ本土の

大学に入学します。

日本とアメリカとの流行の差は10年違うと言われています。

マクドナルド・スタバコーヒー・ケンタッキーの

品物を当時としては目黒祐樹は目にして

日本で流行する事柄を焼き付けて帰国したのだと思います。

映画時代からテレビ時代へと移り変わる事を

目にして俳優を時代劇から現代テレビドラマへと

切り替えていったと思います。

それが今日の目黒祐樹さんだと思います。

これからも、テレビドラマに活躍されることを

見守っていきたいと思います。

健康に気を付けて続けて頂きたいと思います。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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