わくわくウキウキブログ

後期高齢者の千昌夫は愛鳥家!おふくろさんはふるさとの実家に帰れなかった!

こんにちは、自由 まなぶです。

「わくわくウキウキブログ」に

お越しいただきありがとうございます。

今回の記事は鳥を飼っている演歌歌手の

千昌夫さんが気になったので

記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

最後までお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

千昌夫さん東北弁で演歌を歌っている

イメージが強いのですが、意外と人間と

親しみやすい動物好きな一面を

見せてくれました。

千昌夫と鳥達との出会いは

意外ですね。

千昌夫さんが鳥好きだとは

思ってもみませんでした。

鳥も烏骨鶏は卵から育てたうっピーちゃん!

千昌夫さんの小鳥に対する愛着は5年経っても

変わらないものです。

今もシロハラインコとヨウム・モモイロインコは

毎日特訓中なのでしょうかね?

烏骨鶏の卵はすこし薄青色

普通の卵より、一回り小さいですが

値段は普通でも1個300〜500円します。

愛鳥家としても有名な千昌夫

鶏でも大型ブラマを手に入れて育てる

テレビに出演のおともに愛鳥のインコ・ヨウムを

引き連れて一緒に番組で共演してました。

大型ブラマの一羽の値段は約6000円

鶏の業者のホームページで紹介していました。

ふるさとの実家に母は帰れなかった

2011年の東日本大震災の時に大津波で

陸前高田市に有った実家は無くなった。

海岸線から約9km離れた場所に父が建てた

自宅が有った。

健太郎少年が小学校3年生(9歳の時)に

父親が亡くなっています。

千昌夫としてデビューでヒットした

「星影のワルツ」で母親みどりさんのために

家を新素材で再現。

近所の人が健太郎が建ててくれたと

感心したそうです。

地震があった日、自宅は兄夫婦と一緒に

住んでいました。

当時みどりさん90歳は地震の時、一人で自宅に居て
身動きできず、自宅に有った車に避難して

兄夫婦を待っていたと思われます。

しかし、戻ってくる気配もなく、

がれきを巻き込みながら陸地へ津波が

押し寄せて来る寸前で、近所の人が

みどりさんを発見して間一髪で車から連れ出した。

兄夫婦が、高台のお寺に避難している事が4日後にわかった。

みどりさんは千昌夫の自宅(横浜市内)で暮らしていそうです。

みどりさんの希望で「最期はふるさとで」2010年の春に

陸前高田の自宅兄夫婦の待つ自宅へ戻った10か月後に

震災にあったのです。

陸前高田市の復興には時間がかかるために、

再び、千昌夫の自宅に連れ帰ったそうです。

千昌夫さんは生まれ故郷の陸前高田市から東北各地を

精力的に慰問して、地元の人達と交流を図ったのです。

横浜に引き戻したみどりさんの話し相手にインコを飼ってあげた

千さんは母親が寂しくないようにと買ったつもりが

本人がハマってしまったみたいです。

今では12羽を飼っているそうです。

みどりさんは震災で陸前高田のふるさとに帰ることなく

2021年8月10日に99歳で亡くなりました。

千昌夫さんは今は家族、愛鳥と一緒に、

コロナ禍で過ごしています。

千昌夫のプロフィール

本名:阿部健太郎

生年月日:1947年4月8日

出身地:岩手県陸前高田市

身長:170cm

体重:63.6kg(平均値)

血液型:O型

星座:牡羊座

学歴:陸前高田市には小学校が9校有ります。

   中学校は3校の一校は震災遺構の学校です

   水沢第一高等学校中退

趣味:ドライブ・ジムトレーニング

特技:飛行機・ヘリコプター操縦・双発

職業:演歌歌手

活動時期:1965年-

レーベル:ミノルフォン→徳間ジャパン

事務所:第一プロダクション→(有)ジュクネン

 

後期高齢者の千昌夫は愛鳥家!おふくろさんはふるさとの実家に帰れなかった!のまとめ

千昌夫さんは東北で起きた震災を

これからも忘れない為にも

おふくろさんの体験を生かして

一日千人に千昌夫が歌手として

会えることと、自然災害の

恐ろしさをあなたに伝え

風化させない使命をもって

復興の象徴的な歌となった「北国の春」を

歌い続けていくと千昌夫(健太郎)さんは

話しています。

これからもヒット曲を作り上げて

健康に気を付けて歌い続けてください。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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