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武田鉄矢の父親と母親の故郷は同じ熊本県阿蘇郡南小国町の生まれ!

こんにちは、自由 まなぶです。

「わくわくウキウキブログ」に

お越しいただきありがとうございます。

今回の記事は武田鉄矢さんの父親母親

ついて、福岡ではなく熊本生まれが

気になったので記事にまとめていきます。

短時間(約3分)でお読みいただけます。

最後までお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

武田家の父親の生い立ち

歌手で俳優の武田鉄矢さんの

父親の名前は武田嘉元さんです。

父親の実家は熊本県阿蘇郡にある町です。

南小国町中原という地名場所は

農林業を主産業として、当時は林業が盛んな

場所だったのです。

観光地としては全国に知られている

黒川温泉などの温泉地も有ります。

自然豊かな場所で父親は育ったのですね。

幼い頃は山間でガキ大将で

運動神経が良く、山道を走ったりして

走るのにはめっぽう強かったそうです。

また、歌が上手かったそうです。

父親は姓は村上嘉元と言っていたそうです。

嘉元さんは天外魔境となって母親の家に、

婿養子に入っていました。

武田鉄矢さんの母親の名前は武田イク

両親の母親は1920年1月15日に

熊本県小国町で生まれました。

「武田」の姓は母方のものであり

山梨県甲府の武田信玄を擁する

甲斐武田氏の末裔と言われています。

小国町内有数の大地主の孫として生まれました。

3人姉弟の長女でした。

妹、弟がいました。この町は熊本県でも

林業で成り立っていた人々が住んで

生計を立てていました。

祖父の死去と世界恐慌の影響で日常の

生活が苦しくなって、両親が離婚します。

イクさんは8歳の時、小学校二年生でした。

父親の親族の家に養子に出されました。

小学校二年生にとってみればどんな気持ちで

養子に出されたのでしょう。

昔の映画では、養子先でも、いじめられる

シーンが見られました。

イクさんも親戚の家になじめなかった。

親族の家も一人養うには出費がかさみ

親族の家からも追い出される羽目になったそうです。

小学校は卒業したのでしょうか?

親族からは家を追い出され、洋服屋の仕立ての

見習いを経て、17歳の時に小国町で

幼馴染の村上嘉元さんと結婚しました。

イクさんは若狭を生かし、当時雑餉隈に

住んでいたとしたら、板付空港(現福岡空港)
近くに有った。

その板付空港の周りは、米軍の進駐軍兵士が
住んでいて、イクさんはハウスメイドとして
掃除、洗濯、買い物等の仕事をしていたとみられます。

当時は板付空港は米軍機が、訓練のために

民間機を横目に、東シナ海、日本海に向けて
訓練を返していました。

当時も今も、飛行機の爆音は変わらないと思います。

武田家は父親村上嘉元と武田イクさんの家族は

父親の苗字ではなく、母親の実家である武田家に
婿養子として入ったのです。

  • 父親:嘉元
  • 母親:イク
  • 姉ミヤ・兄義武・姉アサコ・姉スミヨ・武田鉄矢の5人兄弟の末っ子。

結婚後に5人の子供達を養っていくには

父親の嘉元さんは旋盤工の職人仕事して

 

イクさんは自宅で内職、進駐軍ハウスメイド

たばこ屋、クリーニングの取次店をしながら

5人の子供達を育て上げたのです。

その後、鉄矢さんの歌にもありますが
たばこ屋経営者(個人事業主)としても活躍し
福岡のタレントとしても子育てをテーマにした
公演を年間100回以上こなして活躍されました。

父の仕事は旋盤工の仕事が終わると
決まって、酒を飲んでよっばい
酒癖の悪い父と鉄矢さんは話しています。

兄義武さんと鉄矢さんとは12歳の差で

父親と兄義武さんはケンカが絶えなかったと
話していました。

なぜ、兄の義武さんと父親がケンカをして
いた理由は分りません。

きっと、小国町での悔しい思い出を子供達には
させたくないから、父親として背中を見せたのでは
ないでしょうか。

九州男児は、熊本弁で「肥後もっこす」がんこもの
昔から通っていたのです。

父親は自分の父親の背中を見ていません。

熊本の小国町は山の中で、農業地は少なく
森林でおおわれて居る地域ですから、
貧しい村だったはずです。

父親は17歳になるまでは、森林関係の
営林署で働いていたのではないでしょうか?

当時の町長は河津虎夫さんは小柄な方で
小国町を仕切っていました。

既に無くなっていますが、全国市町村会長として
代表者になってからは、小国町も徐々に
発展して黒川温泉観光にも手を差し伸べた方です。

武田鉄矢の父親と母親の故郷は同じ熊本県阿蘇郡南小国町の生まれ!のまとめ

小国町は全国でも森林の町として
発展してきた町です。

そんな、父親と母親が育った町は
今も、空気がきれいで、星空が良く見え町です。

お二人が福岡へ旅立って、福岡で生涯を
過ごされた場所は雑餉隈という場所は
今でも人の優しい街なのでしょう。

父親嘉元さん(1983年・63歳)と母親イクさん(1998年)は肺動脈血栓78歳)既に他界されています。

また、兄義武さんは2005年冬68歳で人生を終えました。

父方の親戚に永井真理子さん歌手・ミュージシャンが

居ることが分かったそうです。

父親は歌が上手かったので、親戚にも歌の上手い人が
いてもおかしくないですね。

今日もわくわくウキウキブログを

最後まで読んでいただき有難うございました。

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