懐かしの人気者

西郷輝彦のプロフィール!歌手になれたのは兄二人のお陰・今がん治療!

こんにちは、

自由まなぶです。

「わくわくウキウキブログ」

にお越しいただきありがとうございます。

今回の記事は歌手・俳優の西郷輝彦さんが
10年前に最初の前立腺がんが発見された
その間手術でガンを摘出して治りかけていた
今年に入ってから転移したガンがステージ4となった
西郷輝彦は歌手になって57年目まだ、歌手として
歌い続け、俳優としてまだ兄2人分生きてやりたいと
言う気持ちが気になったので記事にまとめていきます。

西郷輝彦のプロフィール

  • 本名:今川盛揮(いまがわ せいき)
  • 別名:三井礼二
       我修院建吾
       銀川晶子(作詞作曲のペンネーム)
       五代けん(作詞作曲のペンネーム)
  • 生年月日:1947年2月5日
  • 年齢:74歳
  • 出身地:鹿児島県鹿児島郡谷山町(現・鹿児島市)
  • 身長:176cm
  • 体重:66kg
  • 血液型:A型
  • 星座:みずがめ座
  • 学歴:鹿児島市立谷山小学校
       鹿児島市立谷山中学校
       鹿児島市立鹿児島商業高等学校(中退)
  • 趣味:読書・パソコン・美術品鑑賞・陶芸・絵画・写真・ゴルフ
  • ジャンル:映画・テレビドラマ
  • 職業:歌手・俳優
  • 活動時期:1964年-
  • 配偶者:辺見マリ(元歌手)(1972年-1981年)
  •     今川明子一般女性(1990年-)
  • 著名な家族:辺見鑑孝(のりたか)(長男)
          辺見えみり(長女)
  •      今川宇宙(三女)
  • ジャンル:歌謡曲
  • 職業:歌手・俳優
  • レーベル:クラウンレコード
  • 活動期間:1964年-
  • 芸能事務所:誠和プロ(クラウン・レコード宣伝部に事務所を置き社長業を兼務。

実家・家族構成

  • 父親と母親は駆け落ち(フサ子を鹿児島に連れて逃げてきた)
  • 父親:今川盛智(いまがわ せいち)一般の方です。90歳妻の後を追って49日法要も終わらないまま死亡
  • 母親:フサ子一般の方です。82歳(5年前)死亡。
  • 姉:一般の人です。
  • 兄:勝晶(かつあき)20歳(小児麻痺の後遺症で海で帰らぬ人となった。
  • 兄:雅博(まさひろ)日射病(熱中症)突然他界した。
  • 本人

西郷輝彦の結婚歴

  • 結婚:辺見マリ(1981年離婚)
  • 再婚:川澄信介さんと再婚(14歳年下の宝石デザイナー)

西郷輝彦歳の差17歳差での再婚

  • 現在の配偶者:今川明子(いまがわ あきこ)60歳
  • 長女:貴恵さん
  • 次女:朝祐衣(あゆき)さん
  • 三女:雅梨乃(まりの)さん芸名天川宇宙で活躍中

西郷輝彦のプロフィールを調べていると

;

父親は鹿児島県鹿児島市谷山町で西郷輝彦を育て

一家の父親は酒におぼれ、母親に苦ってかかっていた。

家族は長男、長女、次男、三男(西郷輝彦)6人家族でした。

長男は音楽好きでジャズドラマーとして活躍していた。

次男はスポーツマンだった。

2人の影響を受けて、音楽にスポーツが得意と言う

両方を貰って活発な少年でした。

その敬愛するお兄さんが次々と2人共亡くなって行った。

西郷輝彦さんが小学校3年生の時に雅博(まさひろ)さんが「日射病」

今で言う熱中症に罹り、突然他界しました。

当然、西郷輝彦さんには信じられない光景が

幼い少年の目に映る「人間の死に」あっけなく死んで

行ったお兄さんを見て、当然ショックが大きかったのだと思います。

幼い少年にとってみれば、皆と仲良く遊んでいたお兄さんが

居なくなったのですから、頭が真っ白になったと思います。

当時の鹿児島市谷山町は東に桜島が大きく見え

山の頂上付近からは噴煙が空高く灰色の煙をはいていたと思います。

日射病という事だと夏の時期ですね。

鹿児島は当時も今も、風向きによっては桜島の灰が

市内まで降ってきます。

 

谷山地区は桜島から見たら、西南に位置して、

東風だと西の鹿児島市内に灰は降ります。

南西地区には、余り灰は降らなかったと思います。

 

それから6年後、西郷輝彦は中学校3年生の時に

一番上のお兄さんが6月の台風に錦江湾(きんこうわん)

大学の友達と一緒に釣りに出かけて船を出して

風が収まったのを見はからって出発した時に

波に誘われて船は沈没し、勝晶さんはこの時

小児麻痺の後遺症で身体が不自由で

泳ぎが出来なかったのです。

友達は錦江湾から自力で岸に戻れたが

お兄さんは戻らなかった。

谷山町から錦江湾までは、自転車で行っても

そんなに時間はかからなかったと思います。

当時はまで海岸沿いは堤防もなく、

余り知られていませんが

錦江湾はすり鉢上で、砂地は少なく

泳げる人でも、錦江湾は、浅瀬で遊泳したり

釣りを楽しんでいたのです。

そのとき、お兄さんの友達を

西郷輝彦は、感情を高ぶったまま

激しく責めて、泣き崩れて、兄の大学友達を

その時は恨んだのです。

後から後悔していたことを話していました。

お兄さんの事を思って、西郷輝彦さんは

自分自身を歌手になる夢を高校一年生の時に

音楽で生きることを決意したのです。

お兄さんの分まで頑張って歌手になる事を

夢見て、高校生になって鹿児島からどうやって神戸の友達のところへ

ある文章にはヒッチハイクと紹介!また、貯金を貯めて夜行列車

本人に聞いてみないと分かりません。

最初は鹿児島から600km

離れた大阪を目指してヒッチハイクで出かけたのです。

当時は高速道路もなく、国道三号線を北上して

ひたすら、走るトラックや乗用車を見つけては

大阪までの車を見つけては、坊主頭、白い半袖の開襟シャツ

スニーカー、ボストンバッグのスタイル一つ

持って、歩きながら手を挙げて

親切な方の車に乗せてもらい熊本県、福岡県、山口県

広島県、岡山県、兵庫県神戸市(6県)に

着き、アルバイトをしながら歌手の道を目指します。

ヒッチハイクの記事です。

西郷輝彦はこれまでの貯金と友人達からのカンパ

合計6千円程を手元に持っていて

西鹿児島から急行「高千穂」夜行列車で神戸に旅立ちました。

当時のコーヒーの値段は1杯約50円です。

急行「高千穂」は西鹿児島を出発12:00して日豊本線を

宮崎、大分、小倉経由山陽本線を神戸(大阪駅翌日朝8:40)着まで

当時の急行列車は、蒸気機関車は窓を開けると

石炭の黒いすすは乗客が乗っている車両の窓から

入ってきて、鼻の穴を黒く染めて、ツンとくる

石炭の臭いが鼻に残っていた。

蒸気機関車が流行していた時期です。

蒸気機関車を小倉まで引っ張り

その後、小倉(21:58)から電化されている電車(交直両用)で

門司から本州側下関側(22:32)へ運んでいました。

西郷輝彦は家出迄したのは、もう実家のある鹿児島に

帰ることなく、両親とも別れて、気持は歌手になるだけ

と決めていたからです。

大阪の有名ジャズ喫茶のオーディションを受けますが

落選します。がっかりした西郷輝彦を審査員の口利きで

カントリー・ウェスタンやハワイアン・ミュージックを

演奏するゲーリー石黒とサンズ・オブ・ウエストの

バンドボーイ活動中(京都・名古屋)に龍美プロに誘われ入社します。

1964年2月の誕生日17歳でクラウンレコードから「君だけを」を発売デビューします。
この年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得します。
次の年では念願の鹿児島県立体育館でチャリティーショー(帰郷ショー)に1万2千人が会場に詰め掛け、入場口に殺到して警察官1人が死亡し、観客13名が負傷する惨事となった。
その後も、ヒット曲が生まれ「星のフラメンコ」、「真夏のあらし」などジャズではないが

ロックポップ色を前面に出してヒットを続けた。

その後、テレビドラマにも出演するなど特に時代劇の水戸黄門6作目でゲストとして招かれ

ことがきっかけで、「江戸を斬る」の遠山金四郎役に抜擢された。

俳優として名を馳せ、タレントとしてバラエティー番組に出演して

活動の場を広げている。

歌手として2009年、デビュー45周年を迎え東京千代田区の日比谷公会堂で

昼夜の2回記念コンサートを開催しました。

その後も歌い続けていました。

兄の勝晶さんと一緒にバンドを組んでプロデビューを夢見ていた。

少年は、歌手になったものの兄2人は戻ってこない。

目標は叶ったものの、自分の身体に異変が起こり

10年前に前立腺がんが発見され、手術して摘出して

転移しないように中止ながら、仕事はつつけていたが

6年後に再発し、骨転移が発覚した。

抗がん剤治療や放射線治療等で進行を抑えながら

仕事に励んでいたが、コロナ禍の自粛中に

前立腺がんのマーカーであるPSAが急上昇た原因は

がんが再発し背中や胸に広く転移していたそうです。

国内では標準治療を受けいたが、生きる望みを託し

PSMA治療が日本では未承認だったため、

オーストラリアに渡って前立腺がんと転移部分のみに

放射性薬剤を用いた放射線治療を希望した。

投与する部分のがん細胞のみをピンポイントで

叩くことができる仕組みになっている。

その結果は、まだ、「死ねません」兄二人の為にも

西郷輝彦は、お兄さんたちの分まで生きて

行かなければならないからだと話してます。

西郷輝彦のプロフィール!歌手になれたのは兄二人のお陰・今がん治療!のまとめ

74年生きて人生で大変な事に

巻き込まれて、お兄さん二人の分まで

まだまだ、死ねないと話している。

幼い頃の楽しい思い出だったらいいけど

2人のお兄さんを亡くして、自分の希望も

失われ、家出迄して、歌手になる夢を

追いかけて、74歳になった今、

再び襲った、転移したがんをコロナの自粛の中で

日本を離れて、自分の体を再び目を覚ましてくれた

勇気は、今の若い人には無理かもしれませんね?

この曲はわたしにとって、思い出深い曲です。

「君だけを」を歌っていた頃の時代はまだ

中学生でした。

後期高齢者の西郷輝彦さんの気持はまだ高校生の

頃の思い出がいっぱい詰まっているのでしょう。

今の楽しみは孫の顔を見ることが幸せだと思います。

それは、西郷輝彦さんの頑固だった父今川盛智さんも、

きっと孫の顔を見るのが楽しみだったのだと思います。

前立腺がんに転移したがん治療に専念して

体に気を付けて頑張って欲しいです。

https://ukiukiburogu.com/famous/2032/

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